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短編集愛してた 愛してる 愛してたい

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1ページへ主人公はある男に恋をしていた。
・・・いや、恋というにはあまりにも苦惨で、愛というにはあまりにも稚拙であった。
だが、主人公はその想いを後生大事にしていた。

男には守るべき家庭があった。
その証拠に男の薬指には、ふとした瞬間に光る銀色の輪がある。
主人公と躰を交わすときには外されるそれは、「奥さんとの愛の証」と言わんばかりにローテーブルの上で主張してくるのだ。

その指輪はたいそう鬱陶しかったが、何よりも主人公を虚しくさせたのは日曜の夜だった。
それまでは互いに躰を貪り合って体温を交わしていたはずなのに、いつの間にかベッドの上は一層広く、ひどく寒いのであった。
「つかれた」
そのつぶやきは男に届かず、一人寂しい部屋の中に消えた。

主人公は判っていた。
男に向ける感情が、想いが悪だということを。
相手も自分も男である。
しかも男は家庭を持っている。
だが、主人公は言ってしまいたかった。
この自分の男への想いを。
けれど、さすがに主人公は自分のこの想いを直接的な表現では言えなかった。
そもそも、その想いをどう表していいかわからなかったのだ。
―ねぇ、見てみて、月がとっても綺麗だから―

胸のあたりがきつく締め付けられているのを感じながら主人公は男に呟く。
女々しいのはわかっていた。
だが、これがせめてもの主人公の精一杯だった。

「君はいつも目を閉じるよね」
ある土曜の夜、偽りの愛を交わし始めた時だった。
互いの唇から薄い糸がひかれる。
自分が目を閉じていることを男が知っているということは、男は目を開けているということになる。
主人公は内心ほっとした、目を閉じておいてよかったと。
もし開いていたら、男の瞳に自分が写っていないことを思い知らされるから。
男には愛する者がいて、自分たちに未来〈さき〉がないことを諭されるから。
なのに、男は主人公を抱きしめる。
なんて残酷なのだろう。
希望はないのに、希望を持たせるようなそぶりを見せる。
主人公は頭では判っていた、希望はないと。
しかし強く抱きしめられる度、いつか…という希望を捨てきれず、心が悲鳴を上げている。

―そんなことをしたらときめいてしまう。ほんとはときめく資格なんてないのに―

男の偽りの愛の言葉を信じたくないのに信じてしまう自分が情けなく、主人公は心の中で頭を抱える。
「どうしたの?」
急に固まった主人公に、悩みの元凶が顔を覗き込む。
「んーん、何でもない!」
自分の不安が男に伝わらぬよう明るく言うと、主人公は男の首に腕を絡ませ、続きをするようせがむ。
男には、主人公がただ欲望を満たしたいがために続きを強請っていると思われているだろうが、そうではない。
主人公はもう我慢ならないのだ。
自分の想いが流れ出そうなのを防ぎたくて、口を塞ぎたくて。
でも、自分から押し付けるなんてマネは出来なくて。
結果、相手から塞いでくれるよう促すしかないのだ。

男は主人公の意図を知らぬまま、主人公の見せかけの欲に応えた。
ゆっくりと二人の距離がゼロに近づく。
二人の影が重なり再び互いの愛液の交換をしている中、主人公は只々、声にならない愛を叫んでいた。


『愛しているのは君だけだよ』
よくある陳腐なセリフをなぞられる。
主人公は悲しく感じるのを仮面の裏側に隠し、男に笑顔で返す。
しかし、主人公はこのような上辺だけの囁きは鬱陶しく感じてしまう。
向いていないのだ。
元来、正直が服を着て歩いているような人物の主人公には、真実ではない言葉を口にしたりされたりするのは、はっきり言って辛いことである。
そんなに辛いなら、そもそもなぜこのような関係に至ったのか疑問を抱く人も多いだろう。
嘘をつくのが当たり前、建前だけで上辺だけをなぞっていくような関係を。
その答えはとても単純なことで、男が、愛し愛する者がいることを隠していたからだった。
気付いた時にはもう、元の関係に戻れないところまで来ていた。
しかし、想いを取引みたいに扱うことにいい加減主人公は疲れていた。

自分のこの気持ちはなんと呼ぶのだろうかと、温もりが消えた部屋に一人主人公は考える。
愛、というものが人を傷つけない想いのことを指し示すことならば、男が愛し愛される最愛の女〈ヒト〉を裏切り、傷付けている主人公の想いは愛と呼べないだろう。
それならばいっそ、この生産性のない関係はやめてしまおうか。
会う度に胸が高鳴る一方、帰る場所がある男のことを考えると心がえぐられるほどに苦しい。
そんな浮き沈みを繰り返しているうちに主人公は疲れてしまったのだ。
本当は、誰よりも彼のことを想っていて、男を幸せにしたい気持ちは誰にも劣らないと自負している主人公だが、男と、愛する女〈ヒト〉の幸せが自分によって踏みにじられていると思うと、この関係を終わらせようと思う気持ちが強くなる。

最大のきっかけは月曜の出来事だった。
早朝、男がいない寂しさに打ちひしがれていた電車の中にお似合いの夫婦がいた。
よく見なくても、一目でわかった。
何なら後ろ姿でも分かった。
そう、自分の愛する男であった。
二人は誰が見てもお似合いで、主人公はさらに心を痛めた。
もう手を放してやらねばと思った。
そうして主人公はこの恋とも愛とも呼べない罪深い想いを背負い、心の中に閉じ込めた。


最後にうんと男の熱を己に刻もう。
もう二度と触れ合わないからだを、熱を、想いを忘れないように。


カチコチカチコチ
あと少しで、短くて長い夜が終わる。
男が果てた瞬間に主人公は耳元で囁く。
「もう、充分」
男はその一言で、主人公がどういう意味で言ったのかすべて理解した。
そして主人公もまた、男が自分の意図を理解しているのだと悟った。
「僕は弱いね」
男は言う。そんな言葉聞きたくなかった、と主人公は俯く。
そんなことを言われたら、もう責められないじゃないか、殴れないじゃないか。
少し間をおいて男を見やると、時計を外していた。
あぁ、今日は(といってもあと少しなのだが)時間を気にする必要はないんだ。
そう思うとうれしく思わなきゃいけないのに、なぜか悲しくなった。
本当に最後なんだといわれているようで。


それから二人は何事もなかったように、いつものように唇を交わす。
否、主人公はいつものような『愛してる』という気持ちを込めず、代わりに『さよなら』という言葉をしっかりと刻みこむように男に口づける。
もう二度と男と会うつもりは毛頭ないが、どうしても『さよなら』という語句は使いたくなかった。
ただその代りに沢山のキスを男に落とした。

また、主人公は男にも『さよなら』という音を発してほしくなかった。
ただ、いつものように、部屋を出るときは『お休み』と言ってくれさえしたら、主人公もこの想いに『お休み』ということができると思った。


――――もっと早くに出会えてたら――――

なんて女々しくて淡い考えはいつまでたっても消えないけれど、きっと先に出会えてたって彼とは一度だって結ばれることはないだろう。

唇が離れる直前に最大の気持ちを込めて

――――     ――――

人知れず、一つの滴が流れた。

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