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禁断レポート禁断レポート13話

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1ページへ「何か?」
 視線に気づいたのか、男は怪訝な顔でこちらを向いた。柔らかそうな栗毛がふわりと揺れる。両サイドを刈り上げているせいか、前髪が長い割にはすっきりした印象。少し面長でシャープな顎。唇が薄く真一文字の口元は冷たげだが、漆黒の瞳だけは人懐っこい雰囲気がある。
「どうかしましたか」
 怪訝に顔をしかめてもう一度尋ねられ、孝宏はようやく見知らぬ男性に魅入る自分に気付いた。
「すみません。少し、知人に似ていて」
「……そうですか」
 淡々として抑揚がない、冷静だが、人として味気ない声だ。
(哉太の声じゃない)
 ふいに脳裏に沸き上がったありえない可能性を、そくざ否定する。
(哉太かもしれないなんて……。どうかしてる)
 彼はもっと早口で、鋭利な刃先のように攻撃的な口調だった。
 それに、顔つきや髪の毛の質、なにより瞳の色。――特徴的な透き通るようなクリスタルブラウンの瞳ではなく、男の目は透過性ゼロの漆黒の色をしている――。彼の持っている雰囲気すべてが、孝弘の記憶にある人物とは全く異なっていた。
(この人は、哉太じゃない)
「申し訳ありません、やはり僕の人違いでした」
 考えれば、そもそもここは職場だ。ほんの小さな可能性のかけらをかき集めたとしても、喧嘩別れした弟と再会する場所では決してあるまい。ましてや哉太とはアメリカへ発ったきり7年も音信不通になっている。偶然の再開を考える方が難しい。
「……ふうん。人違い」
 しかし、言葉を反復する男性は、なぜか薄ら笑っていた。その仕草がどこか引っかかり、孝宏はもう一度彼をみる。二人の視線はすぐに絡まった。
「あの……」
 視線をうろつかせる孝弘と相反して、男は片時も目を反らそうとしない。何を考えているのか、漆黒の瞳は時折もの言いたげに揺らめき、孝弘だけをじっと見つめているのだ。
 魅惑的で力強い目だった。強さと優しさ、まるで母性と父性の両方を持ち合わせた中性的な二重まぶた。
 その奥で、黒目だけはいやに攻撃的にぎらついている。アンバランスに主張を繰りかえす視線の理由がどうしても分からず。気付けば呼吸すら忘れてその光に魅入っていた。

―業務連絡です。営業戦略部、営業二課の木瀬さん。木瀬孝弘さん。8階第三会議室まで……―
 唐突に館内を流れるアナウンスの音声が、意識にはっと入りこむ。
「大丈夫ですか?」
「あ、はい。すみません――」
「ふうん」とまた気のない返事が聞こえた。

 刹那。

 背中を衝撃が襲った。

 突然伸びた二本の手に両肩をつかまれ、背中から突き飛ばすようにタイルへ押し付けられたのだ。
 もがく間もなく顎を持ち上げられる。そして次の瞬間。唐突に覆いかぶさった強引な熱が、むさぼりつくように孝弘の唇の自由を奪った。
「――!」
 これは……なんだ。
 意識が追いつかない。呼吸さえまともにできない。暴発した花火がバチバチ音をだして弾け回るかのように、頭の中が混乱して何も考えられない。
―繰り返します。営業戦略部、営業二課の木瀬孝弘さん…―
 なまぬるい熱気が、歯と歯の隙間をかいくぐって口内へ押し入っていく。それは逃げ惑う舌先を絡めとり、歯型にそってねっとりと舐めずった。
「う……っ」
「アンタって本当最低だわ」
 かぶりくようなキスの合間に声が漏れる。それまでとうって変わり、感情の冷めた低い声。
「そんな簡単に忘れられんだね、俺のこと」
 ナイフの切っ先のように鋭く尖った、獰猛な野生動物をおもわせるうなり声だ。
 やがて、唇の圧迫が解放される。
「う…っはぁ――」
 思いきり酸素を吸い込みながら、気付けば膝から崩れ落ちるようにその場にしゃがみこんでいた。
「久しぶり、兄貴」
「は……、は……っ」
 みるみる男の口調と表情が変わっていく。
 淡々としていて味気なかった声色は、すでにとげとげしさが滲んでいた。
 穏やかだった顔も鬼の面をかぶせたように、すうっと人相が一変している。
 つり上がった目と笑みの失せた口元。
 無骨で攻撃的で冷淡。すれた少年期の面影を思い出させる男の雰囲気に、胸の奥がギシリと嫌な音をたてはじめる。
「何年ぶりかな。奇麗になったよねアンタ」
「哉――っ」
 ゆらり。頭上を覆うように、不気味に影がゆれた。男は前屈みに両手をつくと瞬きひとつせず、うすら笑顔で孝弘を見下ろした。その反動でスーツの前がはだけ、首かけの社員証がだらりと垂れる。

『小野哉太』

 孝弘はただ声もなく、左右に宙を舞うその名前を見つめた。
(おの……かな、た)

 オノカナタ

 やはり、哉太なのか。
 でも名字が違う。だが先ほど確かに、彼は言った。『久しぶり、兄貴』とーー。
 顔も名前も、過去の記憶と一致しない。その奇妙な違和感より先に、名前をどこかで聞いた気がして、孝弘はますます混乱する。

 オノ カナタ。

(本当に、哉太、なのか?)
 7年前、幾重にもかさねた嘘と裏切りで、傷つけてしまった。
 その後消息をたち、どこで何をしているかさえ分からなかった、実の弟。
 彼はただ一途に純朴に、孝弘だけを愛してくれた。
 流されるまま体を許し、偽りの愛に囚われ、溺れ……、最後は「悪魔」と罵り、孝弘の前から姿を消した。
「まさか、本当に……哉太、どうして――」
「さあ、どうしてだろうね」
 すずしげに笑みを浮かべるその男は、さらに身をかがめると耳元に顔をよせる。
「俺はただ、アンタを――――」
 言い終わる間もなく、三度目の館内放送が孝弘を呼んだ。
 先程とかわらない。間延びした女の声だ。
―繰り返します……、木瀬孝弘さん――……―
 孝弘は空をみつめ、微動だにしなかった。焦点の合わぬ目は男をぼうっと見やり、ただ茫然とタイルに座りこむ。何が起こったか分からない、といった表情で。
 見たことのない荒んだ顔に、口元だけを押し上げて笑う哉太を見つめながら。

―木瀬孝弘さん、至急八階第三会議室へ向かってください―
 破滅へのカウントダウンが、とうとう幕を開けた。

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