メニュー

Target*BoyTARGET6 -幼なじみ-(4)

長編小説『Target*Boy』の第六章の4です。

7年ぶりに再会した幼なじみはかつて夕凪を傷付けた人物の弟だった。彼との再会で過去のトラウマを思い出した夕凪は取り乱してしまう。心の支えは家出と称して夕凪の家に居座る親友の存在だったのだが―――
「帰っちゃうの?」「まあな、迎えが来ちまったんだから仕方ねーよ」

  • 2
  • 0
  • 0

1ページへ***




 ピンポーン。

 休日の朝。ただでさえも来客の少ない鷹森家のチャイムを鳴らすのは誰だろう……
 夕凪は重たい瞼をこすって時計を見た。十時……、もうこんな時間か。昨晩もこの部屋に泊まった雷波と毎晩訪れる怪盗リオンとの夕凪を巡った諍いが深夜にまで及び、正直グッタリと疲れ果てていた。
 原因の一人である大男は、今もベッドの足元で毛布に包まり動かない。

「誰だろ」

 ボーっとした頭のまま階下へ急ぎ、夕凪は玄関のモニターを覗き込んだ。そこに映っていたのは、黒目の大きな少女。

「風海ちゃん?」

 雷波の妹だった。

「おはよう、風海ちゃん。ごめん、今開けるね」

 口早にそう告げ、門のロックを解除する。そして玄関のドアを開けて風海を迎えに出た。

「おはよう。どうぞ、入って」
「お…、おはようございます!」

 しかし風海は門前で固まったままそこから動こうとしない。代わりに真っ赤な顔で挨拶を叫んだ。
 夕凪は一瞬キョトンとしたがすぐにまた微笑んで、どうぞ、と風海を家の中に招き入れた。
 風海はハッと我に返ったように一歩進みだしたが、まるでロボットのようなぎこちない一歩。
 それもそのはずだ。迎えに出てくれた夕凪は風海の憧れの人物。トロンと眠たげな瞳に、肩まで下ろしっぱなしの少し乱れた髪。大きめの黒い上下のスウェットから覗く鎖骨のラインが眩しい。そうして無防備に色気を垂れ流しながら出てきた夕凪の姿に、風海が当てられないわけがない。
 顔中に集まった熱はしばらく後を引きそうだ。

「ごめんなさい、起こしちゃいましたか?」
「ううん、こんな時間だって気付かなかった。起こしてくれて助かったよ」

 せっかくの休日をもう少しで無駄にするところだったと夕凪は笑う。

「お邪魔します」
「はいどうぞ。ちょっとあがって待ってて。今、雷波起こしてくるから……」

 鷹森家の玄関をくぐった途端にふわりと香る優しい香りはこの家のものか、それともソファまで丁寧にエスコートしてくれたこの少年のものだろうか。
 ぼんやりと夕凪の後ろを歩いていた風海だったが、二階に戻ろうとする夕凪に気付いて慌てて声を掛けた。

「あ、大丈夫です。私起こしてきますから!」

 兄の寝起きの悪さは兄弟だからこそわかる。これ以上夕凪を手子摺らせるわけにはいかないと思い、風海は両手の平を夕凪に見せるようにして待ったを掛けた。

「そう? じゃあコッチ…」
「はい!」

 夕凪に案内されて、二階にある夕凪の部屋に辿り着く。
 息巻いてついてきたはいいが、考えてみれば初めて入る夕凪の部屋……緊張しないわけがなかった。

「どうかした?」

 突っ立ったままの風海に夕凪が声を掛ける。風海の耳は真っ赤だ。ビクッと跳ねてしまった肩は、夕凪に動揺を教えてしまっただろうか。

「いえっ……」

 少しでもそんな恥ずかしさを拭うために、風海は床の布団に丸くなる兄の毛布を勢いよく捲り上げた。

「いつまで寝てんのよ!」
「あっ…!」

 だから夕凪がしまったと思った時には遅かった。

2ページへ
 毛布をはぎ取られ、露わになった布団の上には上半身裸でパンツ一丁の雷波が……

「ちょっ、なんて恰好してんのよ!」

 信じられないと目を見開く風海の反応はもっともだ。年頃の女の子にとんでもないものを見せてしまったと夕凪は額を手で覆い、大きく溜め息を吐いた。

「まったく、ヤメテよね、なんで夕凪さんの所まで来てこんな汚い恰好すんのよ!」

 だが風海の切り替えは素早い。もうこの状況に対応しているようだ。さすが兄弟とでも言うべきか…雷波の姿を見てそれ以上の動揺はない。
 夕凪はふと少しだけ、同性のくせに慌てふためいた自分が恥ずかしくなった。

「ん……あれ? 風海? お前どうした?」

 やっとお目覚めの雷波は、布団の上でググーッと伸びをする。

「どうした、じゃないわよ。早く服着てよ、ホラッ!」

 風海が雷波の鞄からポンポンと手際よく服を放り出し、寝ぼけ眼の兄に投げつける。それを受け取るでもなく、叩き返すでもなく、雷波は全て顔面で受け止めた。

「帰るんだからね!」

 そう言って風海が持ち上げた鞄から、なにやらゴトリ―――……雷波の持参したあの如何わしいパッケージが顔を出す。

「なっ!!」

 これにはさすがの風海も言葉を失くした。
 しかし当の雷波はまだ寝ぼけているのか、全く動じる様子もなく首の後ろをガシガシと掻いてソレを眺めた。

「あー…それな。夕凪が毎晩見て抜いてたヤツ」

 舌足らずの猫撫で声で雷波がモソッ…と起き上がる。
 そして豪快な欠伸で一呼吸置くと、風海の足元に落ちたソレを拾って笑った。

「お前にゃあまだ早い」
「おいコラ雷波。いい加減なことを言うな」

 夕凪とて聞き捨てならないセリフ。真っ赤な顔で固まる風海を哀れに思い、雷波の背中に蹴りをかましてやった。

「いてぇ」

 言葉とは裏腹に、どこか呑気な寝ぼけ少年の呻きが零れた。

「あーもう、何でこんな下品なのが兄貴なんだろ! 夕凪さんが私のお兄ちゃんだったら良かったのに」

 もはや嘆きに近い風海のぼやき。真っ赤な顔の原因は、この家に来た時とはとっくに変わっていた。

「違うだろ風海。お前がなりたいのは夕凪の妹じゃなくて、お嫁さ――…」
「いーやぁぁああああああ!」

 風海の突然の悲鳴に夕凪はギョッとする。
 そして嵐のように走り去ってしまった風海をただ呆然と見送るしかなかった。

「俺、嫌われてんのかなぁ」
「照れてんだろーがよ」

 しゅんと肩を落とす夕凪の横で雷波が冷静に身支度を整える。
 その様子に夕凪の口から心細そうな声が零れた。

「帰っちゃうの?」
「まあな、迎えが来ちまったんだから仕方ねーよ」

 鞄を肩に担ぎ、雷波はつまらなそうに膨れる夕凪の頭にポンと手を置いた。

「寂しい?」
「………寂しい」

 それはほとんど聞こえるか聞こえないかの小さな声。しかし雷波の耳にはしっかりと届いたはずだ。ニヤリと雷波の口元が大きくつり上がった。

「なんだよ可愛いなーもー。あんま可愛いとチューすんぞコラ」

 上機嫌で絡んでくる雷波が鬱陶しい。
 夕凪ももう引き止めようなどという気は一切なくなってしまった。

「出てけ!」

3ページへ***



 翌日、天気は気持ちの良い秋晴れ。
 風もなくぽかぽかと暖かい昼下がりは、清々しい屋上日和だった。昼休みの騒がしい時間、いつもは夕凪たちも教室で弁当を食べるのだが、こんな気持ちの良い日は屋上が彼らを呼んだ。

――そんな窮屈な所は似合わないさあここへいらっしゃい。

林也曰く、屋上がそう言ってるのだそうだ。
屋上へ続く扉をくぐり、教室よりも数倍明るい空の下でまずは林也が大きく伸びをした。

「くっあーッ、屋上最高!」

 続いて雷波が眩しさに目を細める。

「あ、俺メシ食ったらここでちょっと寝るわ」

 そしてロミオが入口の扉に頭をぶつける。

「あいたぁッ!」

 衝撃を受けた額を押さえ、ロミオがその長身を屈ませた。

「あははは! ダッセー」
「前見て歩けよ、ロミオ」
「大丈夫、ロミオ!?」

 夕凪が心配そうにロミオに駆け寄り、お腹を抱えてゲラゲラ笑う薄情な友人たちにムッと目を細めた。

「大丈夫、平気平気。俺、夕凪に足元気をつけてって言おうとしたら……」
「自分は頭ぶつけたってか?」
「ロミオ、カッコ悪すぎだろ」

 そんなことで爆笑できるのも、気心の知れた仲間の証。

「笑うなよ二人とも!」
「ひぃー、やべー腹痛え!」
「俺もー、助けて夕凪ー腹痛いー」
「知るかっ!」

 痛い思いをして笑われたロミオも、こうして夕凪が庇ってくれるのなら悪い気はしなかった。

 こんな風に、この四人が集まれば会話は尽きない。その日の昼休みをどう過ごすかを話し合いながら、まるまる時間を潰してしまうことも少なくなかった。
 この日の話題は、林也が佐智子から借りてきた雑誌に掲載されている手相占い。ふむふむとそれぞれの手と紙面を視線が往復する。

「あ、見て俺の性欲線」
「どれどれ?」
「涸れてんじゃんお前の」
「は? バカ言え、コレだろ? ほらコレ」
「え、どれ?」
「コレだよ!テクニック最高っつー線がコレで……」

 ああでもないこうでもないと言い合いながら、仕舞いには手相を偽造までする始末。

「ここ、もうちょい長ければなぁ」
「書けば?」
「えーっ、ヒデェ雷波! その線違くねえ?」
「不倫線」
「いらねえよ!」

 よくまあ占いひとつでここまでムキになれるものだ、と夕凪は呆れるを通り越して感心して眺めていた。

「夕凪のも見して?」

 そこへ不意に矛先が向けられた。
 それまで雑誌と睨めっこをしながら自身の手相をボールペンで書き足していた林也が、その不気味に黒い筋の入った手の平を夕凪に向けて差し出してきたのだ。呼ばれて顔を上げた夕凪は、話題に乗っかろうとすぐさま笑顔を張り付けた。

「ゲッ、何だよ林也その気持ち悪い手」

 だが、差し出された気味の悪い手の平に、重ねようと出しかけた手も引っ込めてしまった。

「最強の男の手だ」

 どう見ても悪ふざけした小学生の手だ。

「何かいやだ、それ」

 夕凪は強張った表情で林也に首を振った。

「……ていうか夕凪、飯は?」

 ふとロミオが気が付いて夕凪を見た。
 まだ包みも解いていない弁当箱が隣で沈黙を続けているのだ。
 もともと手を付けるつもりもなかったのか、夕凪もロミオに言われて改めてその存在を思い出したようだ。

4ページへ
「食わねーの?」
「ああ、うん……あまり食欲なくて」

 不調を訴え、押さえるのは痛む胃のあたり。正直、匂いを嗅いだだけで込み上げてきそうなほどなのだ。

「マジか、大丈夫?」
「具合悪いのか?」

 心配そうに覗き込む友人に、夕凪は大丈夫と笑顔を向ける。
 悪いのは体調じゃない……心の方だ。

「何、お前。俺がウチに帰っちゃったから拗ねてんの?」

 雷波が茶化すように顔を上げたが、夕凪はその返事に窮してしまう。違う、とは言い切れなかったからだ。賑やかな空間から音が消えると、胸にはぽっかりと空虚が生まれる。その喪失感が昔から堪らなく嫌いだった。
 加えて今はその喪失感が痛みを伴って心を痛めつけてくる。
 原因は恐らくあの日の出来事―――…‥忘れかけていた過去の戒めが、ある人物とともに鮮明に甦ってきたあの日の再会だ。
 その再会は、まるで幸せな日常の終わりを告げるカウントダウン。
 幼なじみが過去の亡霊を連れて夕凪を追いかけて来たあの日から、夕凪の中で止まっていた時計が動き始めた。
 ぽっかりと開いていた遠い記憶の空白を塗りつぶすように、声と映像が明瞭なものとなって駆け上がってくる。そしてはっきりと思い出したその声が、今度はまるで体の内側から爪を立てているかのように夕凪を責めるのだ。

『全部夕凪が悪いんだよ』
『忘れるなんて許さない』

 その声が聞こえる度に胃がキリキリと悲鳴をあげた。


「何ソレ、初耳」

 ひとり、暗い思案に耽る夕凪の耳に無邪気な声が届いた。純粋な興味という横槍を手にして飛び込んできたのは林也とロミオ。

「雷波、夕凪ん家にいたの?」

 興味津々で身を乗り出し、目を輝かせて夕凪と雷波を交互に見つめた。

「うん、そー。俺ら夫婦生活満喫してたのよ。つい昨日まで。二週間くらい? それが無理矢理引き裂かれて……なぁ?」

 腕で目を覆い、わざとらしく泣き真似をしてみせる雷波は大根役者。ただ、そのわざとらしい泣き真似のおかげで夕凪も彼の軽いノリに便乗することができた。

「違うだろ、お前が子供みたいに家出して、俺んとこに泣きついてきたんだろ?」

 やれやれと雷波を一瞥して笑ってみせる。すると一言、ロミオがぽつり。

「いーなぁ、夕凪ん家」
「え、俺ん家?」

 いいな、と言われる心当たりがない。

「夕凪ん家ってどんなの?」

 どんな家? ほとんどの時間、明かりが灯ることのない静かな寂しい家。近所の犬の声すら聞こえない、無人島のような……
 それでも決して不満や嫌いがあるわけではない。温かい家族が加われば、そこは世界中のどこよりも幸せで特別な場所になる。

「それより、林也の家はどんなの?」

 確か兄と姉がいると聞いたことがある。兄はバスケットボール選手で、姉はパティシエの専門学校に通っているとか。

「賑やかなんだろうな」

 きっと家族みんなが林也のようなのだろうと思った。賑やかで、話題の尽きない明るい家庭。

5ページへ
「林也ん家の姉ちゃんって、ちっちゃくて可愛いんだよね」
「可愛くねえよ。眉毛ねぇし。それよりロミオん家はどうなんだよ」

 今度は視線がロミオに向けられる。

「ウチはフツー。父ちゃん会社員だし、母ちゃんはパートだもん」
「そんなこと言ったら俺ん家だってそーだし」
「でも林也ん家は兄ちゃんプロのリーガーで有名人じゃん」
「有名人……」

 ポツリと呟いた夕凪に今度は林也とロミオの視線が集まった。

「そう言えば夕凪の両親は何してる人?」
「えっ……!」

また矛先が自分に向けられ、心臓がドキリと跳ねた。

「何って……?」
「仕事だよ仕事」

 それこそ、この場では言いづらい。有名人中の有名人、女優の御堂美冴子をやっています……だなんて。もしも言ったら、笑えない冗談だと笑ってくれるだろうか。

「きっと美人なお母さんとイケメンのお父さんなんだろうなぁ」
「雷波は会ったことあんの?」
「おー…」
「いいなぁ。俺らも今度夕凪ん家行ってもいい?」
「うん、いいよ」
「え? いいの?」

 意外にあっさりと夕凪が首を縦に振ると、素っ頓狂な声が林也から零れた。隣でロミオも拍子抜けしたような顔をしている。

「いいよ」
「マジ!」
「うわーテンションあがる!」

 喜ぶ友人を前に、夕凪の心もほっこりと温かくなる。友達が泊まりに来るなんて……嬉しい。

「じゃあさ、夕凪の小さい頃の写真とか見てぇ!」
「あー、チョー見てぇ!」
「……えっ」

 小さい頃、その言葉に胸がチクンと痛みを訴えた。傷口が熱を持ってジンジンと痛むように、感覚の鈍い痛みがそこを中心に波紋のように広がる。
 次いで押し寄せるのは罪悪感にも似た不安……

『夕凪……』

 またあの声が自分を呼ぶ。

『ユウナギ、』

「――――……ギ゛? なあ夕凪!」
「……えっ?」
「どうした夕凪?」

 ふと気が付けば、目の前には心配そうに覗き込む友人たち。

「あ、……ごめん。やっぱり俺、お腹の調子悪いみたい。トイレ行って先に教室帰るね」

 この震える体に気付いてほしくなかった。気付かれればその理由を訊かれる。理由を知れば嫌われる……
 嫌われたくなかった。

「え、ちょっ…夕凪?」

 だから、逃げた。
 ポカン…とする林也らを置き去りに、夕凪は素早く弁当の包みを拾うと屋上を飛び出してしまった。精一杯の何でもない笑顔を残して。
 残された彼らはそれぞれに首を傾げる。

「お腹痛いって言って、あいつ頭押さえてたよなぁ?」
「……うん、」
「俺、なんかマズイこと言った?」
「え、わかんねぇ…。雷波わかる?」
「どうだろう……」

 ただ、わかったのは、夕凪には言いたくないことと、聞かれたくないことがあったのだろうということ。

「アイツがゲリピーだって言い振らしてやろ」

 そんなお天気な発言を口にしながらも、雷波の視線はずっと夕凪の去っていった先を辿っていた。

6ページへ***




「たーかもりっ」

 夕凪はそのまま教室へ向かうつもりだった。
 人目につかないように、隠れるように風を切ったのに……引き止めたのは痛いほどの力と耳に障る笑い声。

「ちょっと待てよ」

 甘えるような猫撫で声とは裏腹に、物凄い力で不意をつかれて体ごと壁に叩きつけられた。

「何急いでんの?」

 耳元でクツクツと笑う声に鳥肌が立つ。

「こないだはどーも」

 自分を囲む男たちに目を走らせると、男たちはさらに間合いを詰めてきた。新学期の昼休みにバスケ勝負をしたあの上級生らだ。

「何ですか?」

 夕凪は心の底から嫌な顔をした。何故こんな男たちとここで顔を突き合わせなければいけないのか、と。

「ひとり?」
「いいえ」

 “い” “い” “え”一文字ずつ確かに伝わるように、夕凪ははっきりとその言葉を口にする。それが嘘か本当かなんてどうでもいい。ただ、その場の全てを否定するための言葉なら何でもよかった。
 しかし足早に振り切ろうとする夕凪を、彼らが簡単に解放してくれる保証は最初からどこにもなかった。夕凪はどう見ても一人なのだから。
 彼らがこの機会をチャンスと思わずに何と思うだろう……

「一人だよね?」

 責めるように大きく強い口調が夕凪の心臓を叩く。と同時に、乱暴な男の手が顔の横の壁に叩きつけられた。背後の壁が微かに震え、目の前に影が伸びる。

「オイ、連れがいるように見えるか?」

 わざとらしく辺りを見回し、夕凪が一人だということを仲間にも確認させる。

「見えねーな」
「誰と一緒なのー?」

 男たちからは歪んだ笑いが止まらない。最高に楽しい時間を目前にゾクゾクするような身震いさえ覚えているようだ。

「一人だったら何なんですか?」

 鷹森夕凪が一人だったらどうするか……そんなこと、夕凪を見かける度にいつだって考えてきたことだ。思い出す間もなくその考えは脳裏に浮かぶ。
 近くで見れば見るほどキメの細かさにうっとりするような白い肌。柔らかい女子のソレとは違う、しかし吸いつきたくなるようなその肌は、こんな状況でさえ誘うような色香を漂わせている。

「……据え膳」

 男がゾッとするような笑みを浮かべた。

「俺ら昼飯まだなんだよね」

 夕凪の弁当包みを掴み、男がそれごと夕凪を引き寄せた。

「だったら早く食堂に行ったらどうです?」

 だが奪われそうになった弁当を抱え込み、夕凪はさらに強い眼光を男に返す。
 俺に構うな。早くどこかへ行け!
 空腹で苛立つのはわかるが、虫の居所が悪いのは自分も同じ。夕凪は正面に立つ男の肩を押しのけてその場から立ち去ろうと足を踏み出した。だが、簡単に押し戻される体。

「それがさー、ここに美味しそうなご馳走見つけちゃったんだよね」

 男の手が夕凪の内股をさすりあげた。辿り着いた先は―――…‥

「ちょっ…!」
「夕凪のココ…しゃぶらせて?」

 悪ふざけにも程がある。

「止めて下さいっ!」

 卑猥に動く手を剥がし、大きく振りかぶった夕凪の手が男の頬を目掛けて振り下ろされた。

7ページへ
 パシッ。
 だが、それが当たった手応えはない。軽い衝撃音と衣擦れの音を立てて、呆気なく力を殺がれてしまった。男の仲間たちの手によって。

「夕凪は睨んだ顔も可愛いな」
「顔真っ赤だから全然怖くないけど」
「むしろそそられる」

 向けられるのは悍ましいほどのギラついた瞳――――……
 相手は三人。両腕を別々に押さえつけられ、背後には壁。
 正面に立つ男は息がかかるほど顔を近づけて夕凪に舌なめずりをしてみせた。
 ただ、こんなピンチくらいこれまでだってあった。慌てる必要はない。

「高校生がそんな堂々とタバコの匂いを纏わせて……一体どういうつもりなんですか先輩」

 イヤミのひとつも言える。

「お前こそ今の状況がわかってんのか、鷹森? エラい余裕じゃねーか」

 乾いた唇が乱暴に押し当てられ、タバコの苦い味が直接ねじ込まれた。

「……っ!」

 不快感に鳥肌が走る。
 夕凪は目の前の男の脛を思い切り蹴り上げた。次いで足の甲を踏みつける。そして男が怯んだ隙に、両腕を押さえつける男たちに体重を預けて正面の男を蹴り飛ばした。間髪入れずに、両脇の男たちがバランスを崩したのを見計らってグイッと腕を引けば、よろけた男たちは互いに強烈なお見合いでぶつかり合い、足元を狂わせる。その隙に夕凪は身を引き、素早く男たちから距離を取った。

「鷹森テメェ…」
「先に仕掛けてきたのはソッチですよ」

 強引に口付けされた唇を手の甲で拭い、夕凪は忌々しげに眉を顰めた。

「俺はアンタたちのこと、許してないんだ……」

 腹の底から込み上げる怒りをなんとか鎮めようと、夕凪は深く長い息を吐き出す。

「俺がアンタたちに何を言われても手を出さなかったのは、彼がそう言ったからだ……」

 目を閉じて思い出すのは、蒼白い顔で彼らを責めないでと言った震えるカラダ。

「彼のためにこの怒りは鎮めたはずだった……」

 でももう限界だ。
 ずっと抑えてきた怒りが、カチャリと最後の扉の錠を外した。

「先に仕掛けてきたのはソッチです。だからここからは俺の正当防衛」

 目の前の男たちに鋭い眼光を向ける夕凪。

「俺は絶対に許さない。アンタたちが中西くんにしたこと……」

 あの日、廊下で擦れ違った上級生。その先の薄暗い教室で、ボロボロになって震えていた中西亜希……
 覚えてないとは言わせない。

「中西? ああ、あのアイドルか」
「可愛がってあげたよなぁ」
「それにアイツが誘ってきたんだぜ?」

 三人の男が銘々に吐き捨てる。まるで悪びれる様子もない態度に、夕凪はギュッと拳を握った。

「アンタたちを殴ってやりたくて仕方がなかった」

 だが、どんなに汚い言葉を投げられようと、どんなに虫唾が走るような視線で嬲られようと、そうしなかったのは亜希と約束したからだ。

『こうなったのは自業自得だから、これ以上僕を惨めにさせないで……もう…忘れたい……』

 亜希が耐えているのに、自分だけ怒りに任せるのは違うと思ったからだ。

8ページへ
 でもね…中西くん……

『僕のために夕凪が傷つくのも見たくない』

 ごめん、やっぱり我慢できない。許せないもん。


「人の弱みにつけ込む人間は最低だ……」
「はあ?」

そうすることでしか自分を守れない人の弱みにつけ込んで……

「弱い人を暴力で押さえつける人間は……大嫌いだ」

 幼い頃の自分が記憶の中で蘇る。
 自分から望んだこと? それしか自分を守る術を知らなかったとしたら? 助けを呼ぶことさえもできなかったはずだ。

 ひとつだけ言い訳をするなら、中西くん……
 これは君のためじゃない。俺の、プライドのためだ。

「そいつは残念だな、鷹森。俺は大好きなんだ。力で人を捻じ伏せるのも、無理矢理犯してやるのも!」
「お前もあのアイドルみたいにしてやるよ」
「見たいなぁ、夕凪が泣き叫ぶ顔」

 ジリジリと男たちの足が近づいてくる。

「わかってる、鷹森? この状況……」

そんなもの、嫌でも頭に叩き込まれる。三対一…、状況は不利。

「泣いても許してあーげない♪」

 軽い調子で歌うように告げられたその言葉は、男たちがこの状況で夕凪を追い詰めることに心底恍惚を感じている証。夕凪の顔が不快に歪んだ。

「その顔…、すげぇそそるよ鷹森。もう軽く勃ってる」

 そう言ってニヤリと笑った男は、足に突っ掛けていただけの靴を夕凪に向かって蹴り上げた。夕凪は当然それを片手で叩き落とす。すると、不意に目の前が真っ暗になった。
 顔を覆う布に視界が奪われた。どうやら彼らの上着を頭から被せられてしまったらしい。
 不利な状況は、あっという間に絶体絶命のピンチにまで追い込まれてしまった。
 闇に包まれた視界では、今どんな状態なのかさえわからない。
 背中に覚えた強い衝撃と、浮かされた足の感覚からして……恐らくは地面に押し倒されているのだろう。クツクツと勝ち誇ったように笑う声が聞こえる。

 まだ一発も殴っていないのに……
 何も返せないまま追い込まれてしまった。悔しい。悔しくて堪らない。


「バーカ、顔隠してどうすんだよ」
「わりぃ、つい」
「でもこのまま目隠しプレイも悪くねぇな」

 嫌な笑い声が聞こえる。三人に押さえつけられては逃げることもできない。
 このまま抵抗することもできないまま、この男たちに屈辱を与えられるしかないのか……



 ――ポスッ

 何かが当たったような軽い音が聞こえた。本当に軽い、ほとんど無害に思える音。

「イテッ…、なんか降って来たぞ?」

 ムッと不快を呟いた男の声がして、体を押さえつけられていた重みがどこかへ消えた。

「あー、すみませーん。俺のジャムパンそっちにお邪魔しました?」

 間延びした声が上の方から聞こえて、上級生たちが何か文句を言っているのがわかった。
パタパタと階段を降りてくるような足音。

「なんだ、お前?」
「おい、コイツ一年のめちゃめちゃ強い奴じゃねぇ?」

 ……―――一年のめちゃめちゃ強いヤツ? それにあの声……

9ページへ
「ちっ、行くぞ」

 走り去って行く足音が聞こえる。上級生らが行ってしまったのだろうか……
 夕凪は自由になった体を起こし、顔に被された上着を退かした。

「大丈夫? センパイ……」

 そこにいたのは、薄ら笑いを浮かべて地面に落ちたジャムパンを拾う竜太。ポンポンとジャムパンの埃を叩き落とし、残念そうに顔をしかめている。

「あーあ、俺のジャムパン……」

 去っていく上級生らに踏まれたのだろうか、封が開いてパンからは中身のイチゴジャムが飛び出している。

「あははは、バッカでー竜太! 何でジャムパン落としてんだよ」
「お前の唯一の昼飯じゃねーのかよソレ」
「うっせー!」

 非常階段の踊場で笑い声を上げるのは、竜太の友人だろうか。友人たちに舌を出し、竜太はくるりと夕凪の方に振り返った。そして尻餅をついたままの夕凪に手を伸ばす。

「気をつけなきゃ、セーンパイ?」
「いい。自分で立てる」
「そんなこと言わずに手ぐらい貸させて下さいよセンパイ。ほら……」

 差し出した手を拒んだ夕凪の腕を強引に掴み、竜太がにっこりと笑顔を浮かべたまま夕凪を引っ張り起こした。

「おい涼代ー、お前いくら助けたからって急に馴れ馴れしいんじゃない?」
「相手、鷹森センパイだぞ! 身の程を知れー! 身の程をー!」
「いーの、だって俺ら幼なじみだもん」

 踊場からいちいち冷やかしを入れてくる友人らに、竜太は人好きのする相槌でひらりと背を向ける。

「うっそ、マジで?」
「すげーじゃん、紹介して!」
「やだー」

「……別に助けてくれなくてもよかったのに」

 そんな竜太に、夕凪は無表情で俯いたままボソリと言葉を吐き捨てた。
 関わりたくない、と一線を引くように。

「へえ…、いつからそんなに強くなったの? 泣き虫の夕凪ちゃん」

 揶揄するように囁かれ、夕凪は竜太を睨みつけた。

「怖い顔すんなよ……」

 鼻白む竜太に、夕凪は自分の弁当包みを押しつけて視線を外す。

「これ、まだ箸つけてないから」
「……え?」
「ジャムパンのお詫び」

 竜太の顔も見ないまま夕凪が早口に告げた。

「いいの?」
「食べて。じゃあ」
「……あのさ、夕凪」
「話すこと、ないから」

 竜太の言葉を遮り、夕凪は頭を下げたままその場を走り去ろうとした。

「待って、夕凪!」

 咄嗟に竜太が夕凪の手を掴んだ。
 瞬間、大袈裟なほどに夕凪の肩が跳ねる。そのことに竜太も驚いて、反射的に手を放してしまった。

「……ごめん」
「別に、」

 それだけ告げて夕凪は逃げるように走り去ってしまった。竜太が言葉を伝えることすら許してくれないまま……
 遠ざかる背中に竜太が大声で呼び掛ける。だが、背を向ける夕凪には届かない。
 虚しい残響だけが竜太の耳に残った。


「……何でだよ、夕凪。……何でそんなに遠いんだよ」






---TARGET6の(5)に続く

  • 2

もっと読みたい!オススメ作品