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Target*BoyTARGET6 -幼なじみ-(5)

長編小説『Target*Boy』の第六章の5です。

上級生に絡まれていたところを竜太に助けられた夕凪。だが、高圧的な竜太の態度に夕凪は反発してしまう。
「俺、友達が出来たんだ。だから竜太、もう来ないで」

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 翌日の放課後、だいぶ生徒の減った教室で夕凪の机を囲むのはいつものメンバー。雷波、林也、ロミオが部活帰りに顔を出し、佐智子と真奈美が夕凪の髪の毛をいじって談笑中だ。
 その真ん中で、やはり少し元気のない親友を雷波はどこかもどかしそうに眺めていた。

「鷹森くーん、一年生の子が呼んでるよ」

 クラスメイトに声を掛けられ、夕凪がふいと背中を反らして椅子の背に体重を掛ける。座ったまま教室の入り口を覗くその視線の先には―――……

 ガタッ…ン、
 バランスを崩して椅子から転げ落ちそうになってしまった。
 幸い近くにいたロミオに支えられ、ひっくり返ることは免れたが、動悸を始めた心臓が落ち着きを取り戻せない。

「……ごめん、ロミオ」
「ん、大丈夫だけど……」

 大丈夫じゃなさそうなのは夕凪の方だ。顔色はすっかり青褪め、頬は硬直している。

「夕凪は、大丈夫?」

 ロミオにそう訊き返されたが、その声は夕凪の耳を通り抜けて消えてしまう。
 机の上で小刻みに震える白い手は、カタカタと痙攣を起こしたように夕凪の意思を裏切った。

 この手を下ろさなきゃ……皆に気付かれる……

 動揺を少しでも隠そうと頭が警報を鳴らすのに、意思に反して動き出した手は言うことをきいてくれそうにない。

 平気だ、大丈夫だから動け、お願いだから……、せめて皆の前ではいつも通りに動いてくれ。知られたくない、あの事件のことを……。ここにいる仲間には聞かれたくない!
 嫌われたくないっ!


「はぁー…」

 音のない豪快なため息が夕凪の心にサァーっと吹き込んだ。
 震える手を包むのは大きくて温かな掌―――……入口を見つめたまま、何気ない仕草で机に付いた雷波の手が、凍えそうだった夕凪の手に重なったのだ。
 大丈夫…、さっきから何度自分で言い聞かせても届かなかった言葉が、親友によって直接心で幾重にも響いた。
 震えが止まった。

「入れば?」

 しん、と音のない教室でそう口にしたのは雷波だった。
 教室の入り口で固まる少年、涼代竜太の表情が一瞬ピクリと引きつる。
 竜太に突き刺さるのは、何か言いたげな雷波の視線。

“用があるならココまで来てみろ…”

 そんなところだろうか。


「わかりました」

 まるで挑戦状を受け取ったかのように緊張を孕んだ竜太の声が聞こえた。
 雷波を睨むように一瞥した後、失礼します、と会釈をして竜太がゆっくりと室内に足を踏み入れる。

「これ、ご馳走様でした。うまかったです」

 夕凪を囲むように立つ雷波たちの間を抜け、机の上に弁当の包みを置いた。そこに重なる夕凪と雷波の手を強引に退かして。
 しばらくそれを見つめた夕凪は、ようやくその包みが昨日竜太に渡した弁当の包みだと気付いたようだ。

「別に返さなくてもよかったのに……」

 顔を上げずに俯いたまま、夕凪はそれを引き寄せた。

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 その素っ気ない態度に、竜太の苛立ちがほんの少し弾けた。
 だが竜太は無言。何としても夕凪と話がしたくて、夕凪の視線が欲しい…そう思うのに、敵地で少しでも虚勢を張っていたいプライドが自分から何か仕掛けることを憚らせていた。
 ギリッ……奥歯が音を立てる。
 用が終わったのなら帰れ。雷波の視線と顔を上げようともしない夕凪の態度が、暗にそう語っているような気さえした。

 そんな重たい空気を掻き消したのは林也とロミオのおとぼけコンビ。

「えっ、お前、夕凪の弁当食ったの!?」
「俺らだってまだ食ったことねーのに!」

 必要以上に大きな声で竜太の肩をガシガシと揺さぶる。
 一方の竜太はその勢いに声を出すことすらできない。

「俺が昨日、彼のジャムパンをダメにしちゃったんだよ」

 そんな竜太を気の毒に感じたのか、夕凪がフォローの意味を込めて顔を上げた。
 やっとかち合った夕凪と竜太の視線。だがそれも一瞬で外されてしまった。

「ジャムパン!? え、ジャムパンなんかで夕凪の手料理食えんの?」
「俺の弁当と交換するっつってもダメだったくせに!」

 火に油……。どうやら夕凪のフォローが更に林也とロミオの不満を煽る結果になってしまったようだ。

「おい! 雷波もなんか言えよ!」
「えー別に。だって俺コイツの手料理食ったこと何回もあるもん」

 他人事のように眺める雷波は、勝者の余裕ともとれる笑みを浮かべていた。

「不公平だッ!」
「何でだよ、夕凪! 俺たち友達だろ?」

 ダンッ、ダンッ! 大きな掌が四つ、机を揺らした。
 ギョッと見上げる夕凪の目に映るのは、真剣な顔で覗き込む林也とロミオ。理由を問われた夕凪は言いづらそうに視線を泳がせた。

「だって……」

 うーん、と口を尖らせる夕凪の耳がみるみる朱に染まる。

「恥ずかしいだろ」

 ボソリと零し、夕凪はもう一度申し訳なさそうに二人を見上げた。

「ごめん……」

 オプションとして何が見えるかなんて……言わずもがな。

「かっ……」
「可愛いから許す」
「許すのかよ……」

 赤くなった頬を緩ませて親指をグッと立てる林也とロミオの引き際の良さに、さすがの雷波も苦笑いが零れた。

「で、どうだったの?」
「何が入ってた?」

 すっかりご機嫌の二人が再び竜太に矛先を向ける。

「っていうか、あれ、夕凪が作ったのか?」

 ポカンと呆けていた竜太が、目をパチクリと瞬かせた。
 てっきり夕凪の母親が作ったモノだとばかり思っていたのだ。
 そうでないとわかっていたなら、もっと……
 もっと、味わって食べたのに。もっと夕凪の温もりを感じながら、離れ離れになってしまった数年を取り戻すように食べたのに……
 驚きに揺れる竜太の心に、不思議な感覚がふわりと燻った。
くすぐったいような、恥ずかしいような……じんわりとした感動。
 今なら素直に言えるかもしれない。
 夕凪に言えなかった、本当の気持ちが……

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「あの……」

 だが、

「竜太、答えなくていいよ」

 ピシャリ。夕凪の冷たい声がそれを遮った。それ以上の距離を縮めることを拒むように。

「え? ……ってか、お前らってどういう関係?」

 きょとんと首を傾げるロミオ。
 その投げ掛けられた素朴な疑問に二人は押し黙ってしまった。夕凪は俯き、竜太は斜め下をジッと睨んでいる。

「あれ…? 俺、何かマズイこと言った?」

 さすがのロミオも空気の重さを感じ取ったようだ。苦笑いで林也と顔を見合わせ、肩を竦める。

「幼なじみ……でいいんだよな? 竜太くん?」

 雷波の丁寧な問いかけに、竜太がゆっくりと視線をあげた。
一瞬鋭く、そして努めて冷静を装うように。

「……。」

 雷波の質問に口を開くのは気に入らなかった。さも自分は夕凪のことを知っている風な態度が、更に竜太の不快感を煽る。
 だが無言でいるわけにもいかず、竜太は不貞腐れたような声をあげた。

「……はい」
「えっ、幼なじみなのに雷波は知り合いじゃねーの?」

 他人行儀な言い方をする雷波に、ますます林也たちの疑問が募る。

「雷波も夕凪の幼なじみなんだろ? ガキの頃からずっと一緒っぽいし」

 なのに何故、雷波と竜太とは面識が薄いのだろう?

「ガキの頃からっつっても、コイツ転校生だったし、その前のことは知らねー」

 雷波はさも普通のことのようにさらりと笑って答えた。

「え、そうなの?」

 初めて聞かされた意外な事実に、当事者の三人以外は皆一様に驚いた顔をしていた。
 雷波と夕凪といえば、二人で一組。いつも一緒に居て、お互いのことを何でも分かり合えた誰もが認めるベストコンビなのだ。だからこそ、物心ついた頃から一緒なのだと疑いもせずにそう思っていた。

「じゃあ、つまり夕凪が転校してくる前の友達がキミってわけ?」

 隣で話の行方を見守っていた佐智子が竜太を指差して問いかけた。

「まあ」

 と、竜太はまたしても気のない返事。できれば紹介は夕凪本人にして欲しかった。
 夕凪と過ごした唯一誇れる時間さえ、雷波に取り上げられたようで面白くない。

「友達というか、俺は親友だと思ってましたけど」

 自嘲気味に零れた竜太の声が、夕凪の肩をビクリと震わせた。
 夕凪は? 俺のこと何だと思ってた―――? 暗にそう訊かれたようで、喉の奥が熱くなった。
 答えることができない。
 自分にとって大切な存在に違いなかったはずなのに、胸よりもっと深い所でその答えが塞き止められて、恐怖という暗雲が蓋をしてしまう。

「え、え、じゃあ何、前親友と現親友の全面対決ってか?」

 興味深げに林也が瞳を爛々と輝かせ、竜太と雷波の間で視線を往復させる。

「しねーよ」
「俺は……してもいいですけど」
「ああ?」

 敵意を隠そうともせず雷波を正面から見据える竜太の宣戦布告。その視線を真っ向から受け止めて、雷波は眉間に深いシワを刻んだ。
 竜太の発言を受けてざわついたのはなにも雷波だけじゃない。ハラハラと見守る周りの仲間たちも、竜太の言動には驚きを隠せなかった。

 何だ、コレ…面白いことになりそう……
 なんて他人事のように胸を躍らせている緊張感のなさなどは、皆おくびにも出さずに。

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「正直、池澤センパイには嫉妬してるんです。俺は、いつも俺の後ろにベッタリだった頃の泣き虫な鷹森センパイだけしか知りませんから」

 遠回しに夕凪との密度の濃さを説く竜太。
 夕凪と一緒に過ごした時間は雷波にも劣らない。夕凪との思い出なら、自分にだってある。なにも雷波だけが夕凪の親友じゃない。

「ねえ、センパイ?」

 俯いていても音は届く。竜太の声に夕凪の耳がジリジリと焼けた。

「へぇ、夕凪って泣き虫だったの?」
「まあそんな感じするけど」

 周りの仲間は夕凪の思い出話に頬を緩ませる。
 気が気じゃないのは夕凪ばかりだ。

「昔の話だろ……」
「今もだろ」
「雷波っ!」

 冷たく断ち切ってでも今すぐに話を止めて欲しかったのに、すかさず入った雷波のツッコミに夕凪はガタンと机を鳴らした。

「怒んない怒んない」

 子供をあやす様に雷波に頭を撫でられ、夕凪はそれを鬱陶しそうに突っ跳ねた。

「何でも知ってるんですね」

 苛立たしげな竜太の語気が一瞬漂った穏やかな雰囲気を鋭く突き刺した。

「別に何でもじゃねーよ。コイツが朝何時に起きたかとか、朝メシ何食ったかとか、コイツが体洗う順番とか、今日のパンツの色とか、昨日見た夢とか……全然知らねえ。むしろ知らねーことだらけだっつーの」

しかしそれを飄々と交わしてしまうのが雷波だ。指折り数えて自分の知らないことを挙げていく。

「まあ、唯一そんなことを知ってるヤツがいるとしたら、コイツのストーカーくらいだろうな」

 ヘラっと笑う雷波を夕凪がジロリと睨んだ。ある単語が引っかかったようだ。

「まあ、突っかかるんならソッチに喧嘩売ってくれ」

 お前の相手は、多分俺じゃない。そんな意味が隠っていることに気付いたのは、夕凪だけ。

「バカにしてるんですか! そんな居もしない相手に嫉妬するほど俺は馬鹿じゃありませんよ!」

からかわれたことがかなり頭にきたらしい、竜太が真っ赤な顔で声を荒げた。

「……いや、いるんじゃねーの? 夕凪なら、ストーカーの一人や二人」

 こちらは間違いなく冗談として発せられた林也の言葉。
 だが、心当たりのある夕凪は何とかこの話題を終わりにさせたくて、声を張り上げた。

「もういいだろ! 俺の話なんてしたって面白くないって!」
「そんなことないですよ。皆さんも知りたいんじゃないですか? 七年前、センパイがどんな子供だったか。どんなことをしていたか」

 ヒヤリと竜太の声色が落ちた。それと同時に夕凪の視界も冷たく曇る。

「確か池澤センパイもあらすじ程度にしか知らないんですよね?」

 耳鳴りが大きく轟いた。頭を強くぶつけたような目眩さえする。カタカタと机を震動させて、再び夕凪の手が小刻みに震え始めた。
 グワン、グワン――……
 耳のすぐ横で金属を打ちつけられたように激しい耳鳴りがする。
 ホラ、聞こえる、最近決まってこの激しい頭痛と共に聞こえてくるあの声が――――…‥

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――――…‥
―――…



『どうして俺の部屋にすぐ来なかった!』
『ごめんなさいっ、辰兄……』
『お前まで俺を避けるのか?』
『…ちがう!』
『……頼む、一人にしないで。ユウナギ、お前だけは俺を見捨てないで……』


―――――――――……




『ヤメテ―――、辰兄ッ! どこにも行かないから、許して……!』

―――……
――…



 この耳鳴りは幼い自分の悲鳴、何度叫んでも届かなかった夕凪の叫び……
 耳を塞いでしまいたくなるのに、麻痺した体は力が入らない。

ヤメテ…、ヤメテ……、


「それとも自分の口で話してみます?」

 ガクガクと顎が震えて、竜太の問いに夕凪は声を出すこともできない。そんな夕凪の反応を喜ぶように竜太の口角が上がった。
 夕凪はまだ過去を知られたくないようだ。ならば自分にもまだ分はある……


「あのさあ、何か勘違いしてるみたいだけど……別に興味ねぇんだわ」

 大きな溜め息で吐き捨てたのは雷波だ。

「それに俺は別に鷹森夕凪の恋人じゃあないの。いちいち突っかかってこないでくれる?」
「なっ……別にそんなこと思ってませんよ!」
「だったらわざわざ過去までほじくり返して俺に張り合おうとかすんな」

 強張る顔の竜太とは対照的に、雷波は余裕のある構えで子供に言い聞かせるように笑った。

「えー、何でー?」
「そうだよ、俺ら聞きたい、昔の夕凪の話」

 そう口を尖らせる林也とロミオの後ろで、カタンと椅子が動いた。

「……えっ、夕凪?」

 黙々と弁当箱を鞄に仕舞い、鞄の蓋を閉じる夕凪に皆の視線が集まった。
 さっきまで俯いていた夕凪と少し雰囲気が違う。いつも通り…とまではいかないが、どこかスッキリした顔をしている。
 さっきの雷波の言葉、それで吹っ切れたのだ。
 雷波の声はいつも心を晴らしてくれる。
 自分の過去――…‥どうだっていいじゃないか。それを知ったところで自分を嫌いになるような仲間ではないことは夕凪がよく知っている。
 もし嫌われたとしても、それは仕方がない。全てを受け入れて、彼らの望む通りにしよう。

「竜太、お弁当箱わざわざありがとう。用が済んだなら、俺帰るね」

 鞄を持ち上げ、夕凪が静かに立ち上がった。
 すっかり体も呪縛から解かれ、声も穏やかさを取り戻している。

「えっ、帰んの?」

 慌てて林也たちも立ち上がった。

「……帰る」

 そのまま教室の入り口へ向かう夕凪。

「待って、センパイにも聞いてほしいことがあるんですッ!」
「聞きたくない!!」

 竜太の言葉を遮るような夕凪の大声に、一同が息を呑んだ。

「……本当のこと、お話したいんです」
「聞かない。……知りたくない」

 フラつく足が一瞬もつれ、それを支えるように夕凪がドアに手をついた。ハァハァと肩が上下する。
 再び動けなくなる前に、ここから立ち去らなければ……

「大丈夫? 夕凪……」
「なんか顔色悪くない?」

 ただならぬ雰囲気に、室内を明らかな動揺が走った。

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「帰る」
「待てよ夕凪! この人たちに全部話してもいいのかよ!」

 必死の顔つきに反して、竜太の口からは冷酷な脅し文句が吐き捨てられる。そうしなければ夕凪をここに引き止めることはできない…そう思ったのだ。だが、

「勝手にしろよ」

 返ってきたのは蔑むような夕凪の冷めた視線だった。

「……いいの? 夕凪、あんたまた学校に来られなくなるよ?」

 竜太の顔からも表情が削げ落ちた。
 どちらともなく緊張を飲み下すように喉が動いた。


「……来るよ」

 夕凪の声だ。掠れてしまったが、その言葉はちゃんと意志を持って紡がれた。

「俺は来るよ、竜太。……だって俺、友達が出来たんだ」
「……夕…凪、?」
「ソイツらはきっとソレを知っても俺をわかってくれるはずだから」

 あの頃のヤツらとは違う……力強くそう言えたのは、これまで何度も彼らに支えられてきたから。
 信じられる友人が今の自分にはいる。
 少なくとも、ここにいる仲間は誰も夕凪を軽蔑したりはしないはずだと確信を持って言えた。

「へえ、嬉しいこと言うじゃん」

 雷波、林也、ロミオ、佐智子、真奈美…それぞれの口角が優しく上を向く。夕凪もそれに応えるように仲間たちに笑いかけた。

「本当に話しますよ?」

 心なしか竜太の目が赤く充血して見える。その声も、怒りよりもどこか力無く聞こえた。

「だから、好きにしろよ」

 トドメを刺すようにもう一度繰り返した夕凪に、竜太は悔しそうにその骨張った拳を握りしめた。

「ってか一年、やっぱ俺ら聞きたくないわその話」
「きょーみねー」

さっきまではあれほど興味津々だったくせに……
あっさりと手の平を返した友人二人に、夕凪と雷波からは笑いが零れた。

「ごめん竜太、そういうことだから……」

 少し赤みの戻った頬を柔らかく上げ、夕凪は竜太を真っ直ぐに見据えた。これまでには考えられないほど真っ直ぐ―――…‥

「もう来ないで。それから雷波に絡むのも止めて。他の皆にも」

 そう言い放つ夕凪は明らかに強い意志を持っていて、それは竜太の知るどの夕凪のものとも違っていた。

「コイツらに何かしたら、今度は俺がお前を許さないから」
「……っ!」

 もう、あの頃の夕凪じゃない。
 夕凪にとって、自分はもう必要じゃない――…‥

「待って! 知らなかったんだ、本当に……知ってたら絶対に…」
「だから聞きたくないって!」

 拒むように竜太を一瞥し、夕凪は教室を出て行ってしまった。
 結局また告げられなかった竜太の言葉。
 必要とされなくなった竜太の言葉は、夕凪には届かない……

「なんか今の夕凪怖くなかった?」
「夕凪って、あんな怒り方するんだな」

 その場にいたほとんどがごくりと緊張を飲み下した。
 冷え切った氷のような眼差しは、穏やかに場を和ませるいつもの夕凪とは似ても似つかないように思えた。

「追うなよ、」

 教室を出て行こうとした竜太に、雷波が後ろから呼びかけた。

「しませんよ、そんなこと……」
「ならいい」

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 夕凪は廊下を足早に突っ切った。心臓が大きく鼓動する。
言ってやった。はっきりと。震えてしまったけど、過去の亡霊に言ってやったんだ。

――もう来ないで。
――もう怖くないから。

 そうだ、もう怖くなんかない。人の目も、軽蔑されることも、嫌われることも……怖くなんか……

 ……本当に怖くない?

 そんなの嘘だ。
 本当に嫌われてしまったら、立っているどころか、息をすることさえできなくなってしまうくせに……
 結局俺は逃げただけ……仲間を信じるフリをして、投げ出して、目を背けて、あの場所に居られなかったから、逃げ出した―――…


 ドンっ…!
 脇目も振らずに逃げ出した体が派手に跳ね返された。
 しかし、心を置き去りにして見捨ててきた軽薄な空っぽの体は、痛みを感じない。衝撃も、感覚も、何もない。

 何が起きたんだ? ここは今どこで、俺はどうなっているんだ?

 夕凪は追い付かない思考でぼんやりと状況を眺めた。


「ごめんごめん、ちょっと余所見をしていた。大丈夫かい?」

 低くて落ち着いた声がした。どこかで聞いたような……
 差し出された手を見つめる。その手は上から伸ばされているようだ。床が近い。
 ああ、そうか、俺は倒れているんだ。きっとこの目の前の人物にぶつかってしまって……

「すみません、こちらこ……」

 見上げて手を差し出す人物を認識した瞬間、夕凪の表情が固まった。開きかけた口を固く結び、視線を逸らした。まさに不機嫌。
 そして僅かに嘆息したあと、目の前に伸ばされた腕を静かに払って、自らで立ち上がった。

「自分で立てますから」

 冷えた声でそう断って。
 一方、細いフレームの奥でキョトンと眼を丸くするのはその人物だ。
 彼に対して夕凪が持ち前の柔らかい表情を見せることがないのはいつものことだが、それにしても今日の態度はあからさまだ。

「これまた随分と不機嫌だね」

 拒まれた手の行き場を失ってしまい、目の前の人物、成瀬は仕方なく白衣のポケットに突っ込んだ。
 だが成瀬の方に嫌悪はない。ただただ珍しく不機嫌な少年を見て驚くばかりのようだった。

「別に。こんな所で先生なんかに会いたくなかったな……なんて思ってないですから」

 悪意のない成瀬とは反対に不愉快を露わにするのは夕凪だ。本当にいつもの穏やかさがない。

「クスクス…」

 見慣れない刺々しい雰囲気の夕凪に、成瀬の中でまた新たな感情が火を灯した。笑みさえ零れてしまうほどに。

「傷つくなぁ。僕、攻めるのは好きだけど責められるのは苦手なんだよね」

 この止まらない笑みは、その新鮮な感情への驚きからだろうか。それとも……

「失礼します」

 不穏な空気を感じて、夕凪は足を踏み出した。
 早急にその場を去りたいのに……不意に庇った右腕を成瀬に掴まれてしまった。

「…っ」
「ケガしてるね。もしかして今ので?」

 転んだ拍子に壁にぶつけたのだろうか。擦り剥けた拳に赤い血が滲んでいるのを成瀬は見逃さなかった。

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「ちょっとかすっただけです」

 それを嫌うように振り解き、夕凪は成瀬を睨み上げる。

「確か、大抵の傷は舐めとけば治るんでしたよね?」

 いつかの発言を揶揄するように鼻を鳴らす夕凪。普段の夕凪なら決してこんなふうに人を嘲ったりしないのに。
 ゾクリと粟立つ心地に成瀬の口角がゆったりと上を向いた。

「へえ、さすが鷹森くん。優秀だね。教えたことをよく覚えている」
「ええ勉強になりました。だからもう構わないで下さい」

ギロリと成瀬を睨み付ける夕凪。
その挑戦的な目に、成瀬はどんどん昂ぶる気持ちの高揚を抑えきれそうにない。

「いいね……ゾクゾクする。オイデ。手当てしなきゃ」
「結構です、舐めとけば治……」
「だから、僕が舐めてあげるよ」

 夕凪の腕を強引に引き寄せ、甘美な色を持つあの声で楽しそうに囁いた。

「すみから隅まで…ね」

 ガッシリと腰に回された成瀬の手。
 鳥肌が全身を走った。

「ちょっ…放して下さい!」

 ビクリと背中を強張らせて、夕凪は成瀬を振り払う。が、成瀬に誘導される歩みを止めることが叶わない。
 成瀬は夕凪を強引に何処かへ連れていくつもりらしいが、行き先なんて訊かずともわかる。狼の根城……保健室だ。
 嫌な思い出しかないその場所に夕凪が足を踏み入れたいはずなどない。

「いーやーだー」

 夕凪は必死になって成瀬の腕を振り解こうともがいた。

「―――…っ、先生っ!」

 夕凪などお構いなしで涼しい顔をする成瀬を下から睨み上げる。鼻歌さえ歌いだしそうなその楽しげな表情が恨めしい。

「大声出しますよ!」

 この時間ならまだ人通りがある。密室の保健室とは違うのだ。この廊下なら誰かが駆けつけてくれる。
 もちろんは助けを求める気なんて端からなかったし、騒ぎを起こして目立つことも避けたい。それでも成瀬にとってはいい威嚇になると思った
 それで成瀬が諦めてくれれば……

 ところが成瀬が出したのはあの悪魔の囁き声ではなく、いかにも教師らしい落ち着いた声色。

「コラコラ、鷹森くん。大人しくしなさい」

 ……は?

 夕凪は弾かれたように顔を上げた。
 成瀬が自ら注目を集めるように声を張ったからだ。まるで人目を惹くように。

「その怪我、ちゃんと消毒しなきゃダメだろう?」

 ……何を言っているんだ?

「消毒が痛いから嫌だなんて……まったく君は子供だなぁ。男の子なんだから、我慢しなさい」

 聞き分けのない子供をあやすように成瀬の声が廊下に響いた。
 そんな成瀬の声を聞いて振り向いた生徒がクスクスと笑い出す。もちろん笑われた視線の先にいるのは、不機嫌な顔で成瀬を拒む夕凪だ。
 成瀬の意図を理解するまでに数秒かかった。

「……なっ!」

 そこでやっと飲み込めた状況。
 周りにはまるで、治療を嫌がる夕凪が駄々をこねているように見えるのだ。

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「ちょっ、先生、何考えてるんですか!」
「君がちゃんと治療を受けてくれるように皆にも説得してもらおうと思って。ねえ皆? この怪我放っておかない方がいいよね?」

 成瀬が夕凪の傷口を示し、周りの生徒に呼び掛けると、周りからは場違いな励ましが零れる。つまり、誰も助けてはくれない。行き先は保健室。
 ……先手を打たれた。これで夕凪は身動きが取れなくなってしまった。

「卑怯ですよ」

 悔しくて真っ赤な顔で成瀬を睨む夕凪。
 だがそこに浮かぶ勝ち誇ったような微笑みに、夕凪の敗北感は一層増しただけだった。

「あーもーっ!」

 嫌がる夕凪をヨシヨシと宥めながら、成瀬は差し掛かった廊下を横に入った。
 ・・・あれ? 夕凪が首を傾げる。不審に思うのも無理はない。保健室は先の廊下を進んだ所にあるのだから。

「え、先生…どこ行……」
「しっ…大人しくして」

 見上げた夕凪の唇に成瀬の長い指が触れた。
 口を塞がれたのだろうが、その仕草が夕凪にとっては悍ましい。バシンとその手を叩き落とした。

「どこに行くんですか?」

 夕凪が怪訝そうに眉を寄せたその時、

「あ、成瀬センセみっーけ!」

 底抜けに明るく甲高い声が二人の背中を打った。
 同時に夕凪の腰に回された成瀬の腕がドキリと跳ねる。もちろんそれは夕凪にも伝わる。

「先生…?」

 今まで見たことのない成瀬の動揺に、夕凪は首を傾げた。心なしか成瀬の顔色も悪く見える。

「先生…大丈……」

 ぶ? の一文字は、後ろからやって来たその人物らによって掻き消されてしまった。

「こんな所にいたー」
「もーっ、トイレ行くって言って出て行ったきり帰ってこないから心配したじゃん」
「早くしないと紅茶冷めちゃうから迎えにきたよ」

 特有のキンキン声で成瀬を囲むのは女子に他ならない。上履きのラインカラーは上級生のものだ。様子からして成瀬を探しにやって来たらしい。

「……ってあれ? 鷹森くん?」

そのうちの一人が成瀬の陰に隠れた夕凪を見つけて覗き込んだ。

「どうも」

 呼ばれれば返事をしないわけにはいかない。夕凪は軽く頭を下げてにこりと笑った。
 途端、

《キャァァ――――ッ!》

 耳をつん裂くような悲鳴が上がるのはもう毎度のこと。

「うそー」
「近くで初めて見た」
「キレー」

 それでもこんな風に囲まれることに夕凪が慣れているかといったら、それはまた別の問題。怯えたように成瀬の後ろへ身を隠した。

「ゴメンね、驚かせて」

 そう言う成瀬も表情は固い。

「月に一度この子たちが保健室でお茶会を開いてくれるんだ」

 ここに至る経緯を軽く説明してくれた成瀬に、最早先ほどまでの余裕は窺えない。その瞳が語るのは、“タスケテ”の四文字。

「よかったら鷹森君もどうぞ」
「いえ俺は……」

 やんわりと断ろうとした夕凪の肩をガシッと成瀬の手が掴む。

「来るよね?」

 その余裕のない微笑みは、夕凪にそれ以上の言葉を紡がせなかった。

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「なるほど、これは……」

 逃げたくなる気持ちもわかります。

 保健室のソファに座らされ、居心地悪そうに肩を竦める成瀬の横で夕凪は出かかった言葉を飲み込んだ。
 目の前で繰り広げられるのは、お茶会と称したお喋りパーティー。数人の女子たちがお菓子やジュースを持ち込み、談笑を楽しむ。
 お菓子の話、授業の話、ドラマの話、好きな芸能人の話……ときどき話題を振られては、夕凪も成瀬もなんとか苦笑いで応対した。ただ、早く時間が過ぎればいいと切に願いながら……

「だから言っただろ? 攻めるのは好きだけど攻められるのは苦手なんだって……」

 げんなり…といった様子で、成瀬も奥歯で噛み潰した弱音を零した。確かに、彼女たちのパワーには圧倒されてしまう。

「はーい鷹森くーん、これも食べてぇー」
「お茶もどうぞー」

 彼女らのパワーは衰えるどころか、時間が経つにつれて益々ヒートアップするばかり。比例して大きくなる声量と笑い声に、夕凪の意識もどこか飛びそうに薄れていた。
 渡されたお菓子を受け取り、お茶を注いでもらう。甘いモノが苦手と断ることも出来ず、膝の上に溜まっていく大量のお菓子。そして紅茶の中にはたっぷりの砂糖とミルクが溶かされていった。

「ねえ、肌さわってもいい?」
「えッ?」

 唐突に投げかけられた疑問符。

「やーん、ちょースベスベ」
「髪の毛もすっごいサラサラだよ!」
「先生も綺麗な肌してるけど、鷹森くんはなんかもう芸術だね」

 彼女たちに許可を求める意があったかどうかは別として……夕凪が断る間もなく、彼女たちの容赦ない魔の手が襲いかかってきた。

「あ…あのっ……」
「うっそ、超可愛い。顔真っ赤なんですけどぉ」
「写メとろうよ、写メ」
「ねぇねぇ、今度鷹森くんに女子の制服着せたくない?」
「え゛っ……」
「フッ…」

 先輩女子の提案に固まる夕凪。その隣で、訳知り顔の成瀬が堪らず吹き出した。

「あー、先生今、想像したんでしょー」
「ヤラシー」

 などと彼女らは冷やかすが、実際成瀬は目の当たりにしているのだ。そのヤラシーといわれる女装姿を。

「ゴホンゴホン」

 余計なことは言うなよ? 不自然な咳払いをした夕凪の目がそう伝える。

さあて……どうしようかな。





 そして数十分後。
 騒ぐだけ騒いで放置された散らかったままの保健室を前に、夕凪と成瀬は憔悴しきった様子で茫然とソファに佇んでいた。
 静まり返った室内が、先ほどまでの騒々しさを一層際立たせる。

「まるで焼け野原だ」

 そう呟いた成瀬の声も弱々しい。いつもの禍々しいほどの精気も、今は全て削ぎ取られてしまったようだ。

「……でも俺、初めて先生の人間らしいトコ見ました」

 その隣でポツリと零れた夕凪の笑いは、どこか少し楽しそうに聞こえた。
 思い返せば、あんなにも女生徒たちに翻弄されていた成瀬が可愛らしくさえ思える。
 クスクス…思い出せば出すほど可笑しさが込み上げてきた。

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「先生の弱点も見つけられたし」
「弱点? ……僕の?」

 明るい声で言う夕凪に成瀬はふいっと首を傾げた。

「先生は女子が苦手、そうでしょ?」

 ああ、なんだ。そんなこと。
 夕凪のストライクを狙ったようでそうではない投げ球に、成瀬は鼻を鳴らした。

「そうだよ、僕はゲイだ」
「ゲ…っっ!」

 直接的な言葉でカミングアウトする成瀬に夕凪は顔を真っ赤にさせて固まった。

「それに……」

 鬼畜な微笑みが成瀬の表情に蘇る。

「弱点なら、君が僕の下で可愛く乱れてくれるだけで僕の腰は砕けるし、心臓はイチコロなんだよ」
「意味わかんない」

夕凪の表情が一気に曇った。いつもの余裕を取り戻した成瀬に、忘れていた不快感が駆け足で戻って来たようだ。

「ああ、好きだなその表情」
「俺は嫌いです、その表情」
「もっと見せて」

 ググッと近づく成瀬との距離。腰に回された手がそれをさらに縮めようとしてきた。

「食べてしまいたい」
「は?」
「待ったはナシだよ。ずっとお預けだった目の前のご馳走にお腹ペコペコだ」

 焦れったそうに白い牙を見せ、成瀬の顔が更に近づいてきた。

「嘘だ! 紅茶でお腹タプタプだからもう食べられないってさっき言ってたじゃん!」
「大人は嘘を吐くんだよ」
「サイテー…」
「知ってたくせに」
「……」

 何も言い返せない。代わりに、
 ベチャリ…
 成瀬の顔面に向かって大量の生クリームを押し付けてやった。お茶会で残ったショートケーキだ。

「召し上がれ」

 冷めた眼差しでケーキを押しつけたまま、ググッと成瀬の顎を押し返した。

「鷹森くん、酷いなこれは……」

 成瀬の顔からボタリと生クリームが落ちる。

「悪い子だ。さあほら、綺麗にして?」

 そんな夕凪の反抗さえも楽しそうに成瀬は笑った。
 もっと反発して欲しい。ジワリジワリとその強気な反発心を殺いでやったらどうなるだろうか。それと同時に浮かぶ恐怖心と涙が見たくて仕方がない。

「ちゃんと君のお口で綺麗にしなさい」

 成瀬はジリジリと距離を詰めると、夕凪の掌に残った生クリームを丁寧に舐め上げ、今度は生クリームの付いた自分自身の顔を夕凪に近付けた。
 いつもの夕凪なら真っ赤な顔で急いで手を引っ込めただろう。だが今日の夕凪は少しトゲが立っている。
 鬱陶しそうに顔を背けて大きな溜め息を吐いた。

「先生こそ、おかわりは?」

 くだらないセクハラを続ける成瀬の口に、もう一度ケーキが押しつけられた。見れば不機嫌極まりない夕凪のしかめ面。これは少し手古摺りそうだ。
 長期戦も厭わない成瀬にとってこれは楽しいゲームの始まりにすぎないのだか……

「参ったよ……」

 なんと意外にもあっさりと降参の手を上げてしまった。

「今日の君はひどく不機嫌だ。そんな君を落とすのは最高に興奮するけど……生憎今日はそんな気力が残ってないんでね」

 さも残念そうに笑い、成瀬はハンカチで顔のクリームを拭いとった。

「それはヨカッタです」

 夕凪の勝利・・・というより、疲労の勝利だろう。

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***




「あはは…信用ないねー僕」

 すっかり陽の落ちた道を走る成瀬の車。
 その運転席でハンドルを握りながら成瀬は何度目かの自嘲の笑いを零した。
 チラリとバックミラーを覗けば、後部座席には警戒心剥きだしの夕凪がポツリ。家まで送るという成瀬の申し出を散々断り続けたにもかかわらず、結局丸めこまれてしまった夕凪が、助手席に乗ることだけは頑なに拒み通し、今の位置に収まっている。最低限の距離を確保して、仏頂面のまま背後から成瀬を威嚇し続ける夕凪。少しでも帰路を外れたら許さないぞ……と。

「ねぇ、そんなに刺激的な目で見つめられたらその気になっちゃうんだけど……」

 しかし成瀬の加虐心は煽られる一方だ。ちょっと悪戯をしてみようかな…と思うくらいには心がズクズクと疼いてしまった。

「……ッ!」

 成瀬の異様な雰囲気を察して夕凪はフイッと視線を窓の外に向けた。どんな目で見ても成瀬の勘違いが止まらないなら、絶対に見るまいと固く決心して。

「クスクス……ホント、堪らないなぁ」
「うるさいですよ」

 会話さえも嫌うように跳ね返される言葉。
 完全に萎えていたはずの成瀬の気持ちがこの短時間でムクムクと復活しつつあった。そんな感覚が心地よく思える。楽しい、そう思える時間。
 本当に…興味深い子だよ、君は。




「先生っ、停めて!」
「えっ?」

 窓の外を眺めていた夕凪が突然運転席の背面を叩いた。

「いいから車停めて!」

 焦る気持ちで成瀬の肩を叩き、急き立てる夕凪。

「ちょっと待って……何が何だか…」

 いったいどうしたと言うのだろう……
 状況が飲み込めないが言われるままに成瀬が道の端に車を付ければ、夕凪がカチャカチャとシートベルトを外している。

「……どうしたの?」

 茫然と瞬きを繰り返す成瀬には何が起きたのかがわからない。

「誰か倒れてた!」

 バタンと扉を閉じて飛び出した夕凪の後を追って、成瀬も車を降りた。

「……倒れてた?」

 首を傾げつつも夕凪に続けば、ガードレールに凭れるように倒れている人影を見つけた。よくぞあの暗がりで発見したものだ。
 すぐさま駆け寄って呼びかける。

「おい君、大丈夫か? 名前は言えるかい?」

 その呼びかけに、少年は微かに睫毛を震わせた。

「……君は…」

 外灯に照らされたその少年の顔には見覚えがあった。

「……竜…太…」

 そう小さく零れた夕凪の声は、少し肌寒い風に吹かれ、車道を過ぎる車の音に吸い込まれて消えた。





---TARGET6の(6)に続く

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