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Target*BoyTARGET6 -幼なじみ-(7)

長編小説『Target*Boy』の第六章の7です。

7年ぶりに再会した幼なじみとの誤解が解け、やっと昔のような仲に戻れるのだと安心したのも束の間、突然の告白と共にベッドに押し倒されてしまった夕凪。
目まぐるしく変わる状況に抗う余地もなく、夕凪の体は上り詰めてしまい―――…
「もう降参? 我慢するんじゃないの?」

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「オイデ、夕凪…」

 脱力した体を後ろから抱きしめるように竜太の腕が回された。

「夕凪……今度はちゃんと夕凪も見なよ。自分がどうやって俺にイかされるか」

 夕凪を後ろから抱き抱えたまま、竜太がすっかり萎えた夕凪のソレを扱き始めた。

「……ッ」

 途端に再び下腹部がジンと痺れだす。
 巧みな強弱が甘い痺れとなって体の中心に渦巻きはじめた。

「わかる、夕凪? ……また溢れてきた。これ夕凪のだよ?」

 竜太の手が上下する度に顔を出す先端が夕凪を見上げるように頭をもたげ、そこから滴を溢れさせる。
 その卑猥な光景に夕凪は堪らず顔を逸らした。

 冗談じゃない。こんな卑劣な手に堕ちて反応してしまう体なんて……自分じゃない。こんな体…知らない……

「ちゃんと見ろよ、夕凪」

 だが、直視を拒む夕凪を咎めるように竜太が耳朶に噛みついた。

「ッ…!」
「耳…感じるの?」

 笑われて夕凪は首を横に振った。

 違う。こんなの…違う……! 必死で自分に言い聞かせる。
 何かの間違いだ。自分はこんな屈辱には絶対に屈しない。唇を噛み締めて首を振る。感じるもんか、絶対に……

「なあ、声出せよ。せっかく耳元にいるんだからさあ」

 なかなか崩れ落ちない夕凪に、竜太がムッと目を細めた。

「夕凪、ココ好きだろ?」

 さっき見つけたばかりのウィークポイントを狙い、そこに刺激を集中してみる。
 まずは声が聞きたい。そうしてひとつずつ夕凪の体を手に入れていきたい。まるで楽しいゲームが始まったかのように、竜太の胸はドキドキと高鳴っていた。

「イキそう?」

 ゾワゾワと粟立つ肌を無視し、夕凪は首を大きく横に振る。

「あ、そ。じゃあ、レベルアップ」
「……ッあぁ!」

 突然加わった新たな刺激。そそり立つ夕凪自身の下で健気に震えていた嚢が、その質量を確かめるようにギュッと握られたのだ。

「ほら、イキたいんでしょ?」
「……い、ヤだ」
「はあ?」

 振り絞るような声で告げられた言葉に、竜太の表情が険しくなる。

「我慢するの?」

 冷めた視線で夕凪を捉えれば、夕凪は尚も頑なに唇をきつく結んだまま。

「わかった。夕凪がそうしたいならそうしよう」

 つまらなそうに吐き捨てた竜太の手が呆気なく離れていった。

 終わった…? 
 不思議に思った夕凪が目を開けると、竜太が何かを探し折り畳みの黒い財布を手にしていた。そしてその中から目当てのモノを見つけたらしい竜太の手が、夕凪の前にソレを明かす。コンドームだ。掌よりもずっと小さな個別包装の袋に入ったソレは、いくらそういう行為に疎い夕凪にだってわかる代物。
 その封を開けると、竜太は先端を摘まんでゴムを伸ばし始めた。本来そうして使うものではないはずなのだが……使用したことはなくても、夕凪にだってそれくらいの知識はある。そのやり方じゃあ装着できない。
 竜太は何をするつもりなんだ?

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 不可解な竜太の行動に茫然とし、今なら逃げられたであろうチャンスを夕凪は見す見す逃してしまった。それが、後に大きな後悔となるなんて……気付いた時には全てが遅かった。


「え…っ、何?」

 しっかりと一本のひも状に伸ばされたコンドーム。
 首を傾げる夕凪の不安を大きく上回り、竜太がとんでもない行動に出た。伸ばしたそのゴムを夕凪自身の根元に括りつけたのだ。

「ヤッ……、ヤメロっ!」
「何で? イキたくないんだろ、夕凪」

 責める口調で竜太が低く囁いた。

「……なら、イカセてあげない」
「っ…嫌だ!」

 チュッと再開の合図のように首筋に竜太の唇が触れ、完全に根元を遮断された状態での刺激が始まった。

「やだっ……やだ、竜太…ヤメテ…!」
「もう降参? 我慢するんじゃないの?」
「うぅ…っ、……っだぁ」

 塞き止められた体内の熱と疼きが、徐々に夕凪の思考を侵していく。
 両手は自由なはずなのに、力が入らずただ竜太の腕に必死にしがみつくことしかできない。なんとか自身に括りつけられた拘束を解こうと抵抗を試みるが、敢え無く甘い快感に飲み込まれてしまう。

「コレ…外して……りゅ……た」

 こんな風に煽られ続けて、もうこれ以上我慢なんてできるわけない。それほど融通の利く体でもなければ、それをコントロールできる術も知らない。

「ねえ夕凪……すごいよ? 見てみなよ、自分のコレ」
「……嫌だ」

 何が楽しくて自分が犯されて反応している姿を確認しなければいけないのか。
 悔しくて、腹が立って、竜太の腕に爪を立てた。

「夕凪……痛い」

 まるで犬を叱りつけるように、低く鋭い声が耳に吹き込まれた。

「離して? 夕凪…」

 大人しく言うことを聞く筋合いなんてない。
 なのに逆らえないのはどうしてだろう……

 ああそうか、この声の所為だ。
 体に恐怖を植え付けたこの声が、そもそもの呪印だったのだ。この声には逆らえない。
 もともと夕凪の体は素直なのだ。心を許した相手の声には、安堵から自然と体が向いてしまう。しかしその逆もまた然り。心が拒絶しても、体が言うことを受け入れてしまうほどに、悪夢の期間が強烈に刻み込まれていた。

「イイ子だね、夕凪……」
「うう…っ、辰…兄……」

 ドンッと背中を突き飛ばされて、ベッドに顔から倒れ込む。

「辰兄じゃないっ!」

 怒りに震えた声が背後から突き刺さった。
 伏せた体を強引に引き上げられて、正面を向かされる。掴まれた肩がキリキリと痛んだ。

「俺は辰弥じゃないよ、夕凪。……竜太だ…」
「……りゅう…た」
「そうだ、」

 繰り返した名前に、肩を押さえつけていた力が消えた。

「ごめんなさい……、ごめんなさい、」

 夕凪は涙をぼろぼろと零して竜太の頬に手を伸ばした。そして縋りつくように竜太の頬に何度も何度も軽い口付けを当てる。

「ごめんなさい、辰兄……、僕…イイ子にするから」

 何だ?
 竜太は怪訝な顔でそれを受け止めた。

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 あれほど抵抗していた夕凪が、急に自ら身を寄せ始めたのだ。しかも一人称がいつの間にか“僕”になっている。
 何かが可笑しい。

「ごめんなさい、辰兄……僕どこにも行かないから……、辰兄の言うこときくから……だから竜太に意地悪しないで」
「……え?」

 ふと呼ばれた自分の名前。

「竜太が…何だって?」

 夕凪の不可解な発言に、竜太は恐る恐る質問を重ねてみた。

「だって僕が悪い子だと、竜太にヒドイことするって……」
「ヒドイことって?」
「ぶったり……もっと…ヒドイこと……」
「夕凪がされてたみたいなこと?」

 しっかりとしがみついたまま、その首が縦に振られるのが見えた。

「俺のために、夕凪はずっと我慢してたの?」

 竜太の声に明らかな動揺の色が混じった。
 そんな話、知らない。辰弥は竜太に手をあげたことなど一度もなかった。どんな時だって優しくて自慢の兄だった。少し気弱で、引っ込み思案な性格だった兄。それでも完璧を好んだ兄。
 それが竜太の知る兄の全てだ。

 だからあの事件が発覚するまで、竜太は本当に何も知らなかった。
 兄が苛められていたことも、夕凪にヒドイことをしていたことも、悪い高校生に脅されていたことも……

「嘘…だろ……お兄…」

 そんな嘘まで吐いて夕凪を手籠めにしようとしたのか? そう言えば夕凪が逆らえないとわかってて……
 そうまでして夕凪を手放したくなかったのか?

 信じ難い事実。竜太にとってそれは受け入れられない真実である……はずだった。
 だが妙にすんなり納得してしまった自分がいる。そのことに対する驚きはない。なぜなら自覚の真っ只中にいるからだ。自分だって辰弥を責められた義理じゃない。夕凪の弱みに付け込んで、夕凪の優しさを利用して……、夕凪の愛情を手に入れようとしている。

 今更もう引き返せないよね……
 俺は結局、お兄と一緒。傷付けることでしか夕凪を傍に繋ぎ留めることができない。

「夕凪……、俺のこと竜太って呼んで?」

 今更どちらだっていい。
 辰弥として夕凪を抱こうが竜太として抱こうが、夕凪の口から自分の名前が紡がれればそれでいい。夕凪が自分を見ていなくても、強制的にそれを求めることはできる。
 何としてでも、夕凪が欲しいのだ。

「……竜太ぁっ」
「いいね、その声……もっと呼んで?」

 夕凪の後頭部に手を添え、抱き寄せるように耳元に導いた。

「竜太…」

 ゾクゾクと体を走る恍惚。
 目の前にある細い首筋に歯を立てた。

「……んっ」
「夕凪、もっと呼んで。竜太って呼んでよ」
「竜太…ぁ……っ」

 胸いっぱいに広がる充足感。幸せな心地に目を瞑った。

「呼んで、夕凪。…もっと呼んで?」

 腰を抱き寄せると、猛った互いのソレが無意識に触れ合った。

「っやぁぁ…っ」

 すっかり忘れていたが、張り詰めた熱を放っていない夕凪のソレは未だ解放を求めて主張を保ったままなのだ。少しの刺激も辛い体。

「夕凪、……俺も、気持ちよくなりたい…」

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 竜太は手早く自分の主張も取り出し、夕凪のソレと擦り合わせた。

「やっ…ヤッ……やぁ、」
「イキそう?」

 一度限界に到達していた夕凪の体はあっという間に頂点まで上り詰める。それをくすりと笑って竜太は逃げる腰を抱き寄せた。

「……っ、あ、やっ」

 押し寄せる快感を後押しするように、竜太の手が“ふたり”を同時に包み込んだ。
 そして上下する熱い掌。

「ああダメ! ……いやぁッ」
「出したいでしょ、夕凪…」

 とうに限界を迎えた体だ。夕凪は何も考えられず無我夢中で頷いた。

「可愛い…夕凪……、ねえ、上手にオネダリしてみてよ。竜太、もっと擦ってイかせて…って」

 夕凪がハッと顔をあげた。さっきまでの虚ろな瞳とは違い、今度はハッキリと焦点を戻した瞳。

「なあに、その顔……。このままじゃ嫌なんでしょう?」
「竜太…ッ、コレ、取って……」

 竜太―――、ハッキリと呼ばれたその名前は今までと声音が違う。

「俺ってわかってるの? 夕凪……?」

 そう問われ、夕凪の瞳がうるんと揺れた。

 ―――わかる。

 オウム返しで繰り返される名前じゃない。しっかりと呼び掛けられるそれ。

「夕凪ッ……!」

 バサリと夕凪の背中がベッドに押し倒された。

「夕凪……ッ、夕凪ッ!」
「やあぁっ、」

 興奮と歓喜を纏って激しく擦りあわされる熱の塊。
 突然狂った獣のように竜太が覆い被さり、何度も何度も夕凪の名前を呼んだ。答えるように、求めるように。

「やっ、やだぁ……竜太……いやあぁ!」

 もう早く解放してほしい……その一心で竜太の名前を繰り返す夕凪。
 竜太にとっては耳に心地よく響く甘美な声。

「竜太…ぁ」
「もっと呼んで、夕凪…ッ」

 決して交わることのない二つの意識が、同じ頂点を目指して上り詰めていく。

「いやあぁ、も……やめ……っ、ああっアッアッ…助けてぇっ……」
「いやだ…っ、夕凪が俺しかいらないって言うまで、何度だって……ッ」
「イヤだぁ…ッ、イキたくない―――…‥!」
「じゃあ我慢すればっ!」
「あッあッあぁ――…ッ」


 ―――イヤだ、助けて……ッ!

 だけど、誰に届く……? 誰が助けてくれる……?


「いやあぁ…ッ、」



 助けて……ッ!


「…リオン―――ッ!!」



 その口から発せられたのは誰の名前?
 辰弥でもない、竜太でもない、かつて夕凪を助け出した愛先生のものでもなければ、彼の親友の座を陣取る雷波の名前でもない。

「……誰?」

 零度の声と共にパシンと弾かれた頬の痛み。その痺れに夕凪の瞳がハッと晴れた。


 ――俺は、何を口走った?

 たった今自分の叫んだ言葉の余韻が耳に纏わりつく。はっきりと残るその名前。


「リオンて誰?」

 言ってはいけない名前を口走ってしまったと思った。リオンの存在を、正体を悟られてはいけないのに。

 再び唇をキツく噛む夕凪。そこからうっすらと血が滲んでも尚キツく。
 この先は溜め息ひとつ漏らすまいと思った。

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「はあ…、またそうやって……」

 夕凪の代わりに豪快な溜め息を吐き出したのは竜太だ。
 何を考えているのか読み取れない冷めた表情で夕凪を見下ろし、再び行為を始めた。擦り付ける自身のスピードは一層速く。苦しそうに鼻で息をする夕凪を前に、うっすらと暗い笑みすら浮かべて。

「そんなに聞かれたくない?」

 竜太が何を指してそう言ったのかはわからなかった。
 零れてしまう降参の声なのか、それとも縋ってしまった第三者の名前なのか……
 どちらにしても口を開けば自ずとそのどちらも零れてしまいそうで、夕凪は両手で口を押さえた。涙が溢れても、唇から血が滲んでも、あの名前だけは口にしないように。
 あの人の身を曝してしまわないように……

「聞かせてよ夕凪…」

 甘い吐息を零す鼻をキュッと摘まれた。そんなことをされれば息ができない。苦しさに両手が力を失い、赤く濡れた唇が薄く開かれた。

「……ぁっ、…ぁ、っ、やぁ…ッ、」
「あーあ。血ぃ出ちゃってんじゃん夕凪…」

 消毒……なんてふざけたことを言いながら、竜太の熱い舌が夕凪の唇をなぞる。

「ふうっ、ぁ…っ、は…ぁん、……や…だ…ぁ…」
「あー夕凪、俺その声だけでイけそ…」
「やっ…やだぁ……竜太…もう止めて…」

 塞ぎ止められた熱が苦しい。

「も、おかしくなっちゃ…、う……から」

 だから止めてほしい。夕凪の願いはただそれだけなのに、

「じゃあどうしたいの?」

 竜太の質問は意地悪く翳された。

「やめ…て……」
「違うだろ?」

 竜太の望む答えを口にしなかった夕凪を咎めるように、過敏になった弱点を強く擦られた。

「ぁあッ…!」

 しかしその先に達することはできない。

「どうしたい? 夕凪…」

 瞳を潤ませて舌足らずな悲鳴を上げる夕凪に、竜太は「ん?」と意地悪な笑みで答えを誘引した。
 その言葉まで後少し……
 夕凪から自分を求めてくれるのも時間の問題。自然と口角も上がる。

「夕凪、言わないと苦しいままだよ?」
「やっ、……やだぁ」

 竜太、竜太……、甘い声で名前を呼ばれる度に気分が高揚していく。

「夕凪、腰動いてんじゃん……どうしちゃったの?」

 体の中で暴れる熱が行き場を探して、夕凪は自然と自ら竜太に腰を撫でつけてしまっていた。

「どうしたいの?」

 それをわかっていて竜太は一切の刺激を止めてしまった。

「やっやっ…竜太…ぁ!」
「何がイヤなの? 夕凪…言ってくれないとわからないだろ? 教えてくれたらちゃんとシテあげるから」

 わざとらしく夕凪の根元で震える嚢をギュッと握り、急き立てる欲望を刺激して煽る。


「イキた…い……っ」

 竜太の口角が大きく上を向いた。

「イキたかったら何て言うんだっけ?」

 もうすぐだ。もうすぐ夕凪が自分の手に戻ってくる。

「竜太…っ、竜……竜太ぁ…」
「かわいー声…。その声で言ってみなよ、夕凪は誰のモノ?」

 グチャグチャに濡れそぼった互いを再び擦り合わせながら、ぷっくりと勃ち上がった乳首を爪で引っ掻いた。

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「ああっ、やだ…もう許してぇ……」
「じゃあ言いなよ、」

 竜太しかいらない、って

「夕凪は誰がいればいい?」

 竜太がいればそれでいい、そうだろ?

「夕凪は…誰のモノ?」

 そのままこの手に落ちてくればいい。そうすれば一生離さない。誰にも渡さない。

「ちゃんと言えたら許してあげるよ」

 今度は間違えるなよ?

「夕凪は、誰の、モノ?」














「僕のモノだよ」


 窓から吹き込む風が大きくカーテンを膨らませた。

「遅くなってゴメンね…、レディ……」


 聞こえたのは言葉の残響だろうか……
 気付くよりも早く黒い影が視界に迫り、激しい衝撃が竜太の頭部を襲った。体が大きく飛ばされ、竜太は背中に衝撃を受ける。
 覚束ない意識の端にチラつくのは、自分に向けられた凄まじいほどの殺気。

「こんなんじゃ許さない……」

 胸倉を掴まれ、体が浮く。

「死ね」

 地響きのように凶悪で低い唸りが、竜太の体中の血液を震撼させた。

 ……殺される。
 反射的に目を閉じた竜太に打ち付けられた抉るような痛み。


「リオン…っ!」

 パタリと落ちた暗闇の入口で、竜太は夕凪の声を聞いたような気がした。


「ひ…っく、うぇっ……っ、リオン…」

 自分を呼ぶ声に、リオンはハッと振り返った。
 煮え返るような怒りの所為で大切な存在を忘れるところだった。

「リオン……」

 目の前で意識を手放した憎らしい男にはまだ怒りが治まらなかったが、それよりも今は自分を呼び続けるその震える体を抱きしめてやりたかった。

「レディ……」

 その痛ましい姿に喉の奥が熱く詰まる。

「レディ……ッ」

 強く、強く抱きしめる。
 儚く消えてしまいそうなその存在がどこにも行ってしまわないように。決して放しはしない。

「レディッ!」

 夕凪を失いかけたその恐怖と、夕凪が助けを求めて震えていた時間を思うと、堪らなく胸が痛んで自分の方こそ泣き出してしまいそうだった。

「……リオン…っ…う、ぅ…」

 苦しそうに息をして、夕凪がリオンの袖をギュッと掴んだ。

「……ぁっ、はぁ…っ、はぁ」

 額をリオンの胸に預けたまま、身を引こうとする夕凪。

「……レディ…?」
「んあぁ…っ」

 耳元でリオンが囁いたのと同時に夕凪が体を震わせた。

「……レディ?」

 不思議に思ってリオンが再び名前を呼べば、夕凪の呼吸が一層荒くなる。

「レディ…? どうし……」

 どうしたの? 体を引き剥がしてそう尋ねようとしたリオンは息を呑んだ。
 苦しそうに喘ぐ夕凪の下腹部で震える夕凪自身のソレ。根元を塞き止められた猛りが解放を訴えている。

「やだぁ…っ、見ないで…!」

 前屈みになってリオンの視線を遮ろうとする夕凪。

「レディ…」
「いやあッ!」

 首を激しく横に振ってリオンの視線を拒んだ。

「でもレディ……ソレ、取らないと苦しいでしょ?」

 力の入らない抵抗を続ける夕凪の手を優しく窘め、リオンは夕凪の戒めを解いてやった。そして解放を求めるその熱を上下に扱いて促してやる。

「やぁ…あぁっ……リオ…ッ、…ダ…メぇああぁ……あ、んっ、んっ、んぅっ……」

 夕凪は口元を押さえ、ボロボロ零れる涙を必死で耐えた。

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 さっきまであんなに怖くて嫌悪していた行為。なのに何故だ。じんわりと広がるように甘美な陶酔が込み上げてくる。熱をもったその場所が熱くて、体の中から甘い疼きが湧いてくる。
 気が付けば自分から溺れてしまいそうなその誘惑と夕凪は必死で戦った。

 違う……、こんなの、俺じゃない…ッ
 そう思うのに、

「ん―――っ、んっ、んぁ」

 鼻から抜けるような甘い声が止められない。

「大丈夫だよ、レディ……全て僕に預けて?」
「んあぁぁっ……!」

 ……信じられない。
 リオンの声を聞いただけで、それまで堪えていた欲望を一気に吐き出してしまった。見事に呆気なく。

「もぅ…やだ……ぁ」

 情けなさと恥ずかしさのあまり、涙と嗚咽が止まらなかった。

「レディ…」

 ふわりとリオンに抱きしめられる。そのことに安心を覚えながらも、惨めな姿を晒してしまったことへの羞恥は拭えない。それどころか合わせる顔すらない。

「やだぁ…!」

 だからリオンから離れたかった。これ以上惨めになりたくなかった。
 体を離そうと暴れもがくのに、リオンの腕が更に強く夕凪を抱きしめ、離れることが叶わない。

「レディ…大丈夫、大丈夫だから……ねっ」

 大丈夫…リオンにそう言われるだけで体の力が抜けてしまう。安心しきってしまう。
 もう抵抗する力さえ溶けて消えてしまった。

 トクトク…トクトク……

 頬を預けたリオンの胸から心地いい音が聞こえる。とても落ち着いているとは言えない鼓動のリズム。リオンも一緒なんだ。不安で、緊張していて、心臓が暴れ回っている。

 トクトク…トクトク……

 なかなか静まらない優しいその音にもっと耳を押し当てた。
 そんな夕凪を力強く抱き返してくれるリオンの腕。包まれた優しさに涙の雨がゆっくりと晴れ上がっていった。

「……リオン…、リオン…っ」
「なあに、レディ…」

 縋り付くように身を寄せながらリオンの名前を呼ぶ夕凪。
 その声が体温が重みが…全てが愛しくて、リオンの体は不謹慎にも熱く火照ってしまった。

「……リオ…っ、リオン…」
「怖かったよね、遅くなってゴメンね…」

 自分の不甲斐なさをどれだけ嘆いても足りない。それなのに、夕凪の腕が自分を求めてくれる。

「リオン…どこにも行かないで……」

 この手を取る資格が自分にあるのか?

「リオンじゃなきゃイヤだ……っ…」

 カァァッと耳が熱くなり、心拍数が跳ね上がった。

「リオンがいい……」
「レディ!」

 衝動が抑えられるわけがない。熱を帯びた口付けが夕凪の唇に落ちた。
 どうやらどんな気持ちも思案も、夕凪を愛しいと思う気持ちには到底適いそうもなかった。


「行こう」
「えっ……」

 ふわりと包まれた夕凪の体が宙を浮いた。

「どこに?」
「お風呂。」

 シーツに包んだ夕凪の体を一度抱き直し、リオンがにこりと笑う。

「確か君の家のお風呂は24時間いつでも入れるんだよね。温まってくるといい」

 手足ごと纏われた所為で自由の利かない体は自らがしがみ付くことはできず、その分しっかりとリオンの腕に抱きかかえられた。

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 ただ身を委ねることしかできない不安と、温もりに守られている安心。二つの感情が慌ただしく混ざり合い、次第に溶け合う。残ったのはほっこりとした安心感。とくん、とくん、溶け合う感情と共に同調していく二つの心音。
 優しい音が心地良いリズムを作り出した。

 静かな振動に揺られながら風呂場に着くと、しんと音が消え、温かかった体温さえも離れていってしまった。
 かわりに感じたのは、足の裏に付くひんやりとした床の感触と込み上げる不安。

「ゆっくり入っておいで、レディ。君が出るまで僕はここで待っていてあげるから」

 夕凪を脱衣所に下ろし、リオンは外から扉を閉めようと一歩退いた。

「……レディ…?」

 だが、すぐにリオンの足がその場に縫い止められる。追ってきた夕凪に抱きつかれたのだ。
 離れるのを拒むようにぎゅうっと顔を埋める夕凪。

「…どうしたの? 一緒に入って欲しい?」

 驚きを紛らわすように冗談めいて尋ねれば、さらにきつく腕がリオンを離さない。

「まいったな……」

 リオンは浅く溜め息を吐いた。理性が限界だ。苦笑いで誤魔化しているものの、少し間違えば自分も竜太と同じことをしかねない。
 夕凪に負担を掛けることはこれ以上望まないのに、湧きあがる情炎を抑える自信がない。今すぐにでも、竜太の残した形跡を全て消し去ってしまいたい。

「レディ…お風呂に入っておいで? きっと君も落ち着く」

 脳裏に浮かぶ禍々しい思いを抑えるように、リオンは夕凪の体を静かに押し戻した。

「君が上がるまで、僕はここにいるから。ねっ?」
「……消えたい」
「えっ?」

 耳を疑うような言葉が、空気に触れて小さな泡のように淡く弾けた。

「……レディ?」

 ペタリと床に座り込んでしまった夕凪。
 縋り付くものと支えを失ってしまった華奢な手足は、頼りなく自分の肩を抱きしめた。そこに感じられる唯一の体温を確かめるように、できるだけ小さく小さく縮こまって、まるで自分自身を守る固い甲羅のようだ。

「怖いよ…、また真っ暗闇なんだ。暗くて暗くて怖いんだ……立っていられない」

 置いてきぼりにされた冷めた体。
 もう自力で立ち上がることなんて出来ない。

「なんで俺のこと離すんだよリオン…ッ」

 なんで暗闇に放り出すの? 立てないのに……苦しいのに……一人にしないって言ったのに……

「俺のこと嫌いになった?」

 あんなことされていたのを見てヒいた?

「俺が嫌になった?」

 だから突き放すの?

「あんたも俺からいなくなっちゃうの?」

 重く伸しかかる暗い闇が、過去の記憶を映し出した。
 夕凪を体育倉庫に匿ったまま姿を消してしまった愛先生―――…‥
 この風呂場の扉を閉めてリオンが出ていってしまえば、もう二度と会えなくなってしまうのではないだろうか……

「イヤだ…、行っちゃイヤだ。俺の傍にいてよ……一緒にいるって約束したじゃん!」

 何度も呼びかけるのに、リオンから返って来る言葉はない。


 それは完全なる拒絶……?

 胸の痞えとともに、ふっと全身の力が抜けた。

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 拒絶されたんだ。

 ならばもう求めたらいけない。
 伸ばしたこの手は、引っ込めるしか……


「……まったく、君って人は…ッ」

 体が乱暴に引き寄せられ、遠くに離れていってしまった鼓動が再び耳元で響いた。
 さっきよりも強く、そして激しく脈打つ音。

「僕が君を嫌いになる? 何度言ったらわかってもらえるんだい? そんなことありえないのに……こんなにも君が愛しくて仕方ないのに……!」

 その熱い猛りを注ぎ込むような激しい口付けが夕凪を襲った。
 夕凪の思案を打ち消すように、ひとつひとつ不安を取り除こうかとするように、脳内まで蕩けそうな激しいキスが何度も何度も口腔内を犯す。

「こんなキスじゃ足りないんだ。全然足りないくらい君を愛してる。だから君を壊してしまいそうで……不謹慎だけど、僕だって君を今すぐにめちゃくちゃに愛してしまいたいんだッ!」

 感情を押し留めるように、自分自身への抑制も込めてリオンが言葉を紡ぐ。

「だけど今は君を傷つけてしまいそうで…優しくできなそうで……だから、我慢してる。君のために、僕は僕の愛情を必死で抑えてるんだ」

 夕凪が“リオンがいい”なんて言うから……“リオンじゃなきゃ嫌だ”なんて言うから……

「お願い。僕を見境のない獣にしないで……? せめて君の前では、なけなしの理性を保って紳士らしくいさせて。僕こそ君に嫌われたくないんだ……」

 今度は優しい口付けだけを落として、リオンが夕凪の頬を撫でた。大切に慈しむように、愛しさを注ぎ込むように。

「……リオン、」

 告げられたリオンの真っ直ぐすぎる想いに、夕凪の瞳が揺れる。

「俺のこと、嫌いになってない……?」
「嫌いになる理由があったかい?」

 決まりきった答えにリオンはにこりと微笑んだ。

「だから、ね、僕がこうして君を気遣ってあげられるうちに、君はお風呂であの男のニオイを消してきて?」

 髪を撫で、頬にキスをする。

「僕が傍にいるから。ここで君を待ってるから……君が僕を迎えに来て?」
「俺が……?」

 迎えに……?

 夕凪が首を傾げた。
 今まで迎えを待っていた自分が、リオンを迎えに行く?

 それは思いがけなく、新鮮で、夕凪の心に鐘の音のように響いた。

「良い子で待ってるから……」

 大人が子供に言い聞かせるような言い方とはまるで正反対のセリフ。
 体育倉庫で膝を抱えていた夕凪に伸ばされる手とは違う。夕凪が伸ばす手を必ず掴んでくれるという無条件の愛情。
 諦めていたプレゼントを差し出された子供のように、夕凪は夢を見ているような瞳を揺らしてリオンを見上げていた。
 そんな夕凪の頭を優しく撫でて、リオンは柔らかい笑みを浮かべる。

「必ず僕を迎えに来て」
「俺が、リオンを迎えに……行っていいの?」
「待ってる」


動けなかった過去のその場所から動き出す時が来たのかもしれない。

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***





 夕凪を浴室に送り出し、サアァとシャワーの音が聞こえると、リオンはドアに背を預け脱力したように座り込んだ。深く息を吐き出し、どうするべきかを考える。

 夕凪のために、そしてこれからのために……

 そしてポケットから携帯電話を取り出すと、短縮ダイアルで呼び出しを掛けた。数回のコール音でそれは相手に繋がる。

「山吹か、すまない……」

 リオンの短い謝罪の言葉に、電話の向こうで山吹という男が落ち着いた声で応対を続ける。

「すぐに病室をひとつ用意してくれないか? 一般病棟で構わない。レディ? いや、彼じゃない……だがすぐに引き取りに来てほしい」

 夕凪に見せるどの表情とも違うリオンの乾いた表情。淡々とした事務的な会話を終え、リオンは通話ボタンを切った。
 そしてまた溜め息を吐く。

「本当はそのまま川に投げ捨ててしまいたい気分なんだけど」

 眉根をグッと寄せ、リオンは二階を睨みつけた。






***



 身を包む乳白色のお湯は、ほのかにバラの香りがした。リオンが入れてくれた入浴剤。リオンと同じ匂いがした。
 離れているのに包まれている気分。怯えて固まった心が優しく解けていくような気持ちになる。

「ねえ、リオン……いる?」

 心細げな声が浴室に反響した。
 音のない静かな空間がふと不安になったのだ。姿が見えないと不安で堪らない。ちゃんとリオンはそこにいるのだろうか。

「いるよ。どうかした?」

 聞きたかった声はすぐ傍から返ってきた。
 よかった。ちゃんといる。

「ねえ、リオン…」
「なんだい?」

 リオンの香りに包まれながら、こうしてリオンの声を聞いていると、まるでさっきのように抱きしめられているみたいだと思った。

「多義図形って知ってる?」

 夕凪の唐突な質問。

「たぎずけい…?」

 夕凪の元には疑問符のついた答えが返ってきた。
 言いにくそうに単語を発音するリオンの声を聞くところ、どうやらあまりピンときていないようだ。
 一方のリオンはどうして夕凪が突然そんなことを訊いたのかわからなかったが、夕凪が何かを話したい気分ならば、それを聞いてあげたいと耳を傾けた。

「俺は、だまし絵って言い方で覚えてたんだけどさ……見たことない? 一つの絵の中に二つの絵が隠されてるの。見方によっては若い女の人に見えたり、老婆に見えたり……」

 見方によって幾通りかの絵が楽しめる、錯視を利用した作品。リオンは昔養父母と行ったトリックアート美術館のことを思い出した。

「ああ、それなら知ってる」
「俺ね、どうしても一つの絵しか見つからなくて、それでも二つの意味が知りたくて何度も目を凝らしたんだ」

 色んな角度で観察して、何度も眺めて、ヒントももらって目を凝らした一枚の絵。

「それでね、やっと二つの絵が見えたんだ。二つの意味がわかった」
「そっか、よかったね…」

 そんな他愛のない会話ができるようになったのだとリオンがホッと息を吐くと、夕凪の声がパタリと止んでしまった。

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「レディ?」

 不審に思ってリオンが声を掛けると、ようやく消えそうな声がポツリと零れた。

「よくない…」
「……え?」
「よくないよ……」

 嘆くような震える声が、浴室に反響してリオンの元に届いた。
 よくない、とはどういうことだろう。

「二つの意味を知っちゃうと、もう元には戻れないんだ」
「元には戻れないって、どういうこと?」
「一つしか見えなかった時の感覚がわからなくなっちゃうんだ……一つだけを見たくても、どうしてももう一つがチラついちゃうから…」

 泣き出してしまった悲痛な声がリオンの胸を締め付ける。

「一つの絵しか見えなかった頃には二度と戻れなくなっちゃうんだ」
「レディ、開けるよ!」

 堪らず心配になって浴室の扉を開けた。
 いい子にして待ってるから…なんて約束したくせに、夕凪の泣き声を聞いたら居ても立ってもいられなくなってしまったのだ。

「……レディ」

 中を覗くと、湯船に浸かったままの夕凪が膝を抱えて泣いていた。
 リオンが入ってきたことにはまるで気付かない様子でうずくまり、堕ちてしまった闇の中で肩を震わせている夕凪。
 今日一日で押し寄せた色んな感情がぐるぐると渦を巻き、夕凪の胸中を無遠慮に掻き回し続けていた。
 気持ち悪い……、新たに知ってしまった事実と感情に心と体が追いつかず、色々と考えを巡らしてしまう頭の中は先走ってグチャグチャだ。

「俺は……知っちゃったから…、竜太の苦しみも怒りも知っちゃったから……、また前みたいに戻りたくてもきっと今日のことを思い出して竜太に怯えちゃう……」

 何も知らなかった頃の気持ちにはもう戻れない。焼きついた恐怖は簡単には拭えない。

「竜太は辰兄じゃない……でも、一緒だった」

 裏を知ってしまったからには、表だけを見ることはできない。

「また仲良くしたいのに…俺はきっとまた竜太に怯える……」

 竜太の行動ひとつひとつを疑ってしまう。もう心は真っ白には戻れない。

「俺…ッ、どんな顔して竜太に会えばいい?」
「……レディ…」
「竜太だけじゃない、俺は、他の人も疑っちゃうかもしれない。友達のことも、アンタのことも……」

 自分が黒く染まってしまったようで、元には戻れない恐怖と知ってしまった事実の辛辣さに押し潰されてしまいそうだった。

「レディ……、顔をあげて」

 そんな夕凪に、咲き綻ぶ花のように柔らかい声が舞い降りた。
 服が濡れてしまうのも構わずリオンは床に跪き、お湯に浸かった夕凪の体を抱き起こす。

「顔をよく見せて」

 そして頬に張り付く湿った髪の毛を優しく払った。
 端正な顔立ちが浴室の柔らかい灯りの下に照らされる。

「僕には君が何か変わったようには見えない。君は優しい涙を流すとても誠実な人だよ」

 赤く染まった目も鼻も、震える小さな唇も、愛しい夕凪のモノだ。

「そんなことない、だって俺は……」
「レディ…」

 それ以上の言葉を遮るように、リオンの指が夕凪の唇を押さえた。

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「君が怯えてるのは竜太くんでも過去の影でもない。ありもしない未来だよ」
「……未…来?」
「そう。全ては悪い想像。まやかしの産物だ」

 勝手に最悪の未来を想定し、怯えているだけ。

「ダメかもしれない、でも大丈夫かもしれない。大丈夫かもしれないのに怯える必要がある? 怖がらないで、レディ……」

 不安に思うのは見えないから。怖くて仕方ないのはわからないから。わからないものを怖がるなんて……

「お化けと同じ。怖いと思うから怖いんだ。でもね、誰かと一緒なら怖くない。ね、そうでしょ?」

 穏やかな笑顔を浮かべてリオンが夕凪の手を握った。

「君が教えてくれたことだ」

 ホラーDVDを並んで見ながら、お化けが苦手なリオンの震える手を握って何度も大丈夫だと安心させてくれたのは、他でもない夕凪だった。

「君が僕にこうしてくれたんだ」

 力強く掌を重ねて微笑み、こうすれば怖くないと朝までずっとそうしてくれた夕凪。

「だから今度は僕が君の手を握ってあげる。もう怖くないでしょ?」

 震える手は上から包み込んでしまえば震えることはない。温かい掌は人の震えを簡単に止めることができる。
 夕凪が教えてくれたことだ。

「今日は君が眠るまで傍にいる。こうして手を握っていてあげるから……安心して」

 瞼に羽根のような柔らかいキスを落とし、リオンは用意してあったタオルで夕凪を包み込んだ。

「さあ、湯冷めしないうちにあがろう。今日はご両親の部屋で休むといい」

 部屋にはまだ竜太がいる。
 もうじき迎えが来るだろうが、先ほどまでの惨状がありありと残ったあの部屋に夕凪を連れていくわけにはいくまい。

「おいで、レディ。温かい紅茶を入れてあげる。それから、ぐっすりと眠れるようにオマジナイもしてあげよう」

 パチンとウインクをして囁いたリオンは、それこそ魔法使いのような軽やかさで夕凪にバスローブを纏わせて支度を整えると、ソファに連れていき、そこでぼんやりと座る夕凪の前に香り立つ紅茶を差し出してくれた。

「ねえレディ、レディは変わらないよ。レディはレディのまま。でもね、もしレディが変わる時が来るとするなら、それはレディが強くなった時」
「……強く、?」
「そう。今より強く、もっと強い心を持った時」

 人は変化するものじゃない、進化するものだ、なんて言ったのは誰だったっけな。
 リオンはポツリと呟きながら記憶を辿った。

「さっきは我慢できずに飛び出してしまったけど、今度こそ僕は待ってるから」

 まだ湿った夕凪の髪を撫で、愛しさと慈しみを込めた眼差しを送る。

「君が強くなって、その一歩を踏み出せるようになるまで……、そして僕を選んで迎えに来てくれるまで……待ってるから」

 リオンの奏でる言音のひとつひとつが呪文のように夕凪をまどろみの中へいざなってくれる。
 ゆっくりと瞼が重くなって、夕凪は優しい温もりの中に意識を落としていった。






---TARGET6の(8)に続く

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