メニュー

Target*BoyTARGET6 -幼なじみ-(8)

長編小説『Target*Boy』の第六章ラストです。

竜太に襲われていたところをリオンに助けられた夕凪。竜太とは昔のような幼なじみの関係に戻りたいのに、気持ちより先に体が怯えてしまう。壊れてしまった関係は修復できる? 空いてしまった7年という期間は埋めることができる?
「無理だよ夕凪、仲直りは無理。俺の気持ちわかってるくせに」

  • 2
  • 0
  • 0

1ページへ***




 肌寒い風が頬を撫でる。
 窓は閉めたはずなのに、この風はどこから入って来るのだろう……

 雷波はもぞもぞと大きな体を縮こまらせた。
 あるべきはずの毛布を手繰り寄せようと手を伸ばすが、手の届く位置にはない。

「さみぃ…」
「だったらいい加減起きてくれないかな。君の寝顔を眺める趣味はないんだ」

 バチッと目が覚める。まるで非常ベルを聞いたような気分だ。
 慌てて飛び起きた。

「え゛ッ…怪盗リオン? なんで俺の部屋に……」

 開け放たれた窓から吹き込む風はカーテンを大きく膨らませ、その前に立つリオンのマントを緩やかに靡かせた。
 その足元には恐らく雷波が掛けていたであろう毛布。

「っつーか夜中じゃねーか。何しに来たんだよアンタ。夕凪ん家行けよ!」

 手元の携帯で時刻を確認すると、雷波は携帯を放り投げて再びベッドに倒れ込んだ。

「レディは……寝てる」
「俺だって寝てただろーが」
「僕は、君の忠告を台無しにしてしまった……」
「は…?」

 唐突に発せられたリオンの物言いに、雷波は怪訝な声でゆっくりと体を起こした。

「先日君がしてくれた二つの大事な忠告……それを僕は…」
「夕凪に何かあったのか?」

 ハッと雷波が顔を上げ、リオンに詰め寄った。
 その問い掛けにリオンは一瞬声を詰まらせたが、先ほど目の当たりにしたその場面を正直に雷波に伝えた。
 その間、雷波は相槌さえ口にすることができなかった。
 速まる動悸とともに、ひんやりとした冷気が背中を撫でる。すっかり目が覚めてしまった。
 完全な手遅れではなかった。最悪の事態は免れた。だが夕凪にとっての最悪を他人の物差しで測るべきではない。夕凪が受けたショックは紛れもない事実なのだから。
 それにリオンばかりを責められない。自分の浅はかさにも腹が立った。
 どうして夕凪の傍に居てやらなかったんだろう。この事態が考えられなかったわけじゃないのに。


「……それで、アンタは大丈夫なのかよ」
「僕…?」

 不意に気遣うような言葉をかけられ、リオンは首を傾げた。

「夕凪を助けに入ったんだろ? 顔、見られなかったのかよ」
「ああ、そのことなら心配はいらないよ」

 リオンがハッキリと答えると、雷波は納得したように小さく頷いてみせた。

「でも、レディを守ると言っておきながら、僕はレディを守れなかった」

 真っ直ぐな声が雷波に向けられる。

「レディに何かあったら、君は僕を許さないと言った。だから、その報いを受けに来た」
「へえ。覚悟はできてるってことか」

 リオンが頷くと、その誠意に応えるように雷波はリオンの前に立った。

「歯ぁ食いしばれよ」

 ガツンと鈍い音が脳天を揺さぶり、リオンの体がフラフラとよろめく。流石に手加減はなしだ。

「じゃあ次はあんたの番」
「……え?」
「今回の件は俺にも責任がある。だからアンタも俺を殴ってくれ。おあいこだ」
「なるほど…」

 拳を構えるリオンを見て、雷波は目を閉じた。
 いつ衝撃が襲ってきてもいいように奥歯を噛み締め、鼻から息を抜く。



 だが、待っている衝撃は訪れない。

「雷波くん。君に…レディをお願いしてもいいかな……」
「……は?」


 代わりに、雷波の前に差し出されたのは―――……

2ページへ
***




 ブーンと音を立てるバイクの音が聞こえ、夕凪は目を覚ました。
 小刻みに止まるその音から察するに、新聞配達の音だろう。もうそんな時間か。
 カーテンの隙間から差し込む光が朝を告げている。
 身じろぐ夕凪の手に温かい感触。包み込むように優しく重なるそれは……

「……リオン?」

 ぼんやりと霞む目に映るのは、漆黒のマントを身に纏った怪盗リオンだった。

「ずっとここに?」

 柔らかい笑みを浮かべて覗き込むリオンに尋ねれば、優しく弧を描く唇が肯定を告げる。

「本当は君が眠ったら帰ろうと思ってたんだ。でも、寝顔を見てるうちに朝になっちゃった」

 リオンの指が夕凪の前髪を撫でると、夕凪は眩しそうに目を細めた。
 まるで何時間もプールを泳いだ後のように気だるい重みを残す体に、リオンの声は心地よかった。

「……っ」

 途端に昨夜のことを思い出す。
 この気怠い体の原因と、その身に降りかかった事実を。
 思い出して体が震えた。腕を鳥肌が走って歯がガチガチと音をたてる。

「あ…、俺……」

 知らずの間に涙が頬を伝った。

「レディ…」

 だが、その冷めた心にそっと流れ込んできたのはリオンの温かい声だった。
 リオンが夕凪を抱き起こし、強く腕を回したのだ。しっかりと、震える体を全身で押さえ込むように。

「恥じることも怯えることもない。君はこれから立ち向かうんだ」

 立ち向かう……
 穏やかな声が耳から伝って夕凪の心を弾いた。

「竜太くんは病院に連れていったよ。寺杣総合病院、知ってるね?」

 寺杣総合病院はこの辺りで一番大きく有名な病院だ。
 夕凪は小さく顎を動かした。

「会いに行っておいで。そして今度こそちゃんと彼と向き合ってくるんだ」

 トクトク…心臓が早鐘を打つ。

 会いに……?
 竜太と向き合う……?

 考えただけで緊張から体が強張るのを感じた。

「怖がらないで……、」

 優美な声でそう奏で、リオンの透き通った瞳が日だまりのような暖かさに染まる。
 まるでそこには不安など存在しないかのように。
 そこに浮かぶのは、力強い安心感。

「君が一番望んでいることのはずだ」

 一番望んでいること……?

 考えてもみなかった心の内を照らされ、夕凪はふっと自分の正直な気持ちに目を落としてみた。
 真っ黒く沈んだ心の奥を、ドンドンと叩く本当の気持ちに耳を傾けてみる。
 口に出してもらいたくて存在を訴える奥底の真意に。

 見つけた。
 最初からそこにあったのに、霞んでしまって見えなかった夕凪の本当の気持ち。
 本当に望んでいたことが、確かにそこにあった。


「竜太と…仲直り……できるかな」

 零れたのは怖えに濡れた涙なんかじゃない。やっと向き合う決意に差した、希望の涙―――…‥
 強くなれるかもしれない。止まっていた過去から歩き出せるかもしれない。
 リオンに包まれているだけで、壊れそうだった気持ちがジンと熱を持った。


「傍に、いてくれるよね……」
「もちろん、僕はいつだって君の傍にいる」

 その揺るぎのない言葉に、夕凪はホッと目を閉じた。

3ページへ
「俺ね……すごく怖かった、昨日竜太にあんなことされて……でもね、」

 リオンの背中に腕を回し、マントをギュッと掴む。


「あんたにされるのは嫌じゃなかった…」
「……えっ」
「嫌じゃ…なかった……」

 尻すぼみに消えていく声と、恥ずかしそうにモゾっと俯いた夕凪の頭。
 リオンの頬がカァァっと朱に染まった。

「だから、待っててくれる?」

 夕凪の大きな双眸がリオンを見上げる。そんな些細な視線のぶつかり合いにさえ、リオンの心臓は悲鳴を上げてしまいそうだ。
 大きく強く脈打って、そこから飛び出したいと叫び出す。
 全身を駆け抜けるビリビリとした甘い痺れに名前を付けるとしたら、それは……歓喜。

「俺が竜太と仲直りして、過去にちゃんと決着を付けて、この気持ちが整理できるようになったら、あんたと真っ直ぐ向き合えるから……だから、待っててくれる?」
「もちろんだよレディ…」

 今度はリオンが腕に力を込めた。

「待ってる。絶対に……」

 夕凪が自分を想って探してくれるその日を、夕凪の隣に必ず自分がいるその日を……


「でも期待されると困る」
「あはは、それは難しいな。だって嫌でも期待してしまうもの」
「いつになるかわからないんだよ? ……あんたが待ちくたびれちゃうかも」
「待ちくたびれても、必ず迎えに来てくれると信じてるから」
「他に好きな人ができたりして」
「ありえない、僕には君だけだ」
「わかんないじゃん……」

 憎まれ口を叩いてしまうのは、きっと確かめたかったから。
 そこに確実にある真っ直ぐな想いを何度も耳で確かめたかったからだ。

“ずっと傍にいる”――――必ずもらえるリオンの言葉を。


「ねえレディ、何があっても僕は君を想い続けるから。決して折れないから。……だから、必ず迎えに来てね」

 ふと、リオンの声音が曇ったように聞こえた。
 漠然とした不安が過り、夕凪は顔を上げる。すると、物憂げな色を宿したリオンの視線とぶつかった。

「リオン?」
「僕が君を守るから……、君が僕を守って……」
「どうしたの? リオン」

 泣き出しそうなリオンの頬に手を伸ばし、夕凪は首を傾げた。


「ねえ…いったい……、  ッ…」

 ふわりと触れた口付け。
 視界を占領した白い肌が離れていくと、目の前には嫣然とした穏やかな笑顔があった。
 先ほどまでの翳った表情などどこにもない、綺麗な微笑み。


「ふふっ、レディとキスをすると元気になれる」
「はあ?」
「ねえ、もう一回してもいい?」

 グッとベッドに乗り上がり、夕凪に顔を近づけてくるリオン。
 ビクッと身を引いた夕凪を追いこむと、大きな掌で夕凪の頭を抱き、引き寄せた。
 深い口付けで夕凪の口腔内を甘く蹂躙する。
 優しく掻き回すように舌を絡めれば、互いの生み出す滴りが音を立てた。
 その甘美な響きが夕凪の思考をぼんやりと侵していく。

「……んっ」

 強く求められ、甘く犯され、次第に夕凪もそれに応えるように腕を伸ばした。
 リオンの首に腕を回し、リオンの唇を迎える。

 初めて知った魅力に酔いしれるように、夕凪はその甘い痺れに何度も何度も身を落とした。

4ページへ
***



 すっかり秋色に色付いた街路樹の間を、バスは滑らかに走っていた。
 ガタガタと激しく揺れることもなく、時折プシュっと鳴るドアの開閉音と停留所を告げる車内アナウンスが穏やかな振動とともに心地よく体に響いた。

 いつもならそんな空間が夕凪を眠りの世界へと誘うのだが、今日は窓の外をぼんやりと見つめる夕凪がその瞼を閉じる気配はなかった。
 座席から伝わる温もりは、湯船に浸かっている時の安心感を思い出させる。

 湯船に浸かって、バラの香りに包まれて……それで……

「どうした? 顔赤いぞ?」
「…へ?」

 不意に隣から声を掛けられ、夕凪はハッと顔を上げた。

「バスに酔ったか?」

 そう言って心配そうに覗き込む親友の顔を、マジマジと見つめる。
 そうだ、これから雷波と一緒に竜太のお見舞いに行くところだったんだ。
 当初の目的を思い出して、夕凪はああと頷いた。

「なんだ、お前その顔……」

 ポカンと口を開ける夕凪に雷波が訝しげな視線を送った。
 そして夕凪の唇を親指と人指し指でふにっと摘まんで顔を近付ける。

「あんま無防備な顔でボーっとしてっと、チューしちゃうからな」
「ちゅ…チュー!!?」

 雷波から飛び出たキーワードに思い切り夕凪の顔が赤くなる。
 座席から転がり落ちんばかりの勢いで雷波から身を引き、口元を押さえた。

「何その反応」
「べつに…」

 呆れ顔の雷波に、夕凪は自分の過剰反応を恥じる。
 動揺しすぎだ。何思い出してんだよ、俺……馬鹿。

 不本意ながら頭を過ったのは、今朝のリオンとの甘い出来事。その記憶に、心臓が煩いくらい動揺していた。

「まあ、お前に何があったかくらい想像はつくけどな」

 リオンの事は口には出さず、雷波が夕凪の髪をくしゃくしゃと撫でた。

「えっ、そうなの…!」

 いくら、何から何までお見通しの親友であっても、そんなことまで悟られるのは御免だ。
 それ以上見透かされないように、夕凪は慌てて俯いた。

「バーカ。今更だろ?」

 呆れ笑いで夕凪を小突く雷波。
 それを夕凪も鬱陶しそうに跳ね返した。
 雷波は一体どこまでをお見通しなのだろうと、心臓をバクバクさせながら……



『次は寺杣総合病院前、寺杣総合病院前…』

 他の利用客が押したのだろう。《止まります》のランプが点灯した。
 何となく降りる心構えに向けて、笑い合う声も尻すぼみに消えていった。

 そしてバス停に降り立った夕凪と雷波は並んで病院を見上げる。
 近隣で一番大きなということだけあって、圧倒されそうな威圧感がある敷地だ。
 まさにこの先は試練の道。
 これから見舞う先への多少の緊張と心構えを、夕凪はゴクリと飲み込んだ。


「じゃあ病室に着いたら、俺は外で待ってるから。何かあったら呼べよ」
「待って」

 引き止めるように夕凪が、雷波の手を掴んだ。

「ん、何?」
「一緒に来てほしい」

5ページへ
「……え、けどよ」

 昨晩の心配もあり、夕凪と竜太の関係を案じた雷波は、いつでも仲裁に入れるように部屋の前までついて行く心構えはあった。だが、部屋の中まで立ち会うのを止めたのは、聞かれたくない話もあるだろうと雷波なりに気を遣ったからだ。
 なのに……

「雷波にも聞いてほしい。一緒にいてくれる?」

 そんな風に頼まれたら断るわけにもいくまい。

「何ソレ…口説いてんの?」
「口説いてるよ。雷波は大事な親友。これからも一緒にいてほしいから」

 茶化す雷波に夕凪は真面目な視線を向けた。

「親友だから。離れていってほしくないから。俺の弱い部分を知っても、雷波は傍にいてくれるって信じてるから……」
「あーあ…そういう口説き文句ってズルくねえ?」

 並びの良い白い歯を見せ、雷波が乱暴に夕凪の頭を撫でる。

「ちょっ…痛い痛い痛い」

 一方の夕凪は、親友の照れ隠しに茶化されてしまい、面白くなさそうに口を尖らせた。

「もーっ、俺大真面目なんだよ!」
「わかってるわかってる。大事な恋人だってちゃんと紹介してねー」
「恋人じゃなくて親友だから!」

 でも、今度こそ本当にちゃんと竜太に紹介しようと思った。雷波のことを。ずっと夕凪を支えてくれた大切なかけがえのない友達なんだ、って。


「あと、雷波にも竜太の紹介をしなきゃ」
「え、いいよ。俺は知ってるし」
「だめ。竜太も俺の大事な友達なんだ」

 泣き虫だった夕凪をいつも引っ張っていってくれた、ヒーローみたいな友達。
 本当に大切な友達だったから。
 いらないなんて思ってないんだって伝えなきゃ。





***


 真っ白な病室にクリーム色のカーテンが優しく揺れる。
 その隙間から見える窓の外に広がる秋空を、竜太はただ静かに眺めていた。
 最後に覚えている記憶とは違う風景。そこが何処かは、目が覚めてすぐにわかった。

 全て夢だったのだろうか。ジョギングの途中で意識を失ってからの全てが……

 だが、頬に貼られた大きな湿布と体に響く殴られたような鈍い痛みのおかげで、そうじゃないと気付くことができた。


「……こんにちは」

 様子を窺う静かな声とともに扉が開いた。
 自分しかいないその部屋への来客を確認するため、竜太は虚ろな視線をそちらへ向けた。
 そして入り口に立つ人物の姿を見つけて目を瞠る。

「…お邪魔します」
「うッス」

 にこりと不器用な笑みを貼り付けて頭を下げた夕凪と、その隣でふてぶてしい顔を覗かせた雷波。竜太はバツが悪そうに眉を寄せた。

「具合は……どう?」

 そんな竜太につられて夕凪の表情も強張った。
 露骨に目を逸らされて、意気込んでいた気持ちがしゅんと萎んでしまう。

「俺……、何してるんだろ」

 そう呟いた竜太の声が、どこか悲嘆の色を帯びて聞こえたのは、まるで生気の感じられない瞳の所為だろうか。言葉を奏でる唇もカサカサに乾いてしまっている。

6ページへ
「りんご買ってきたよ。剥こうか?」
「……、うん」
「おっけー」

 少しでも元気に笑顔を作って夕凪が尋ねれば、竜太は視線だけほんの数秒こちらに寄こして小さく頷いた。
 備え付けの椅子に座り、夕凪がりんごを剥き始める。シャリシャリという細かな音以外、この部屋に響くものはなかった。時折廊下で他の患者や見舞いの家族、看護師の明るい話し声が聞こえるだけ。
 沈黙は重たかった。

「コスモスが綺麗だったよ…、ね、雷波」

 気まずさに押し潰されそうな空間で、夕凪が懸命に笑顔を見せる。

「あ、ああ」
「りんご食べたら一緒に見に行く? 竜太」
「いい」
「……そっか」

 せっかく振っても、わずかな言葉で途切れてしまう会話。
 そして一向に目を合わせようとしない雷波と竜太の態度が、益々夕凪を消沈させた。
 竜太はともかく、雷波はなんとか夕凪のフォローをしてみようと明るさを装ってはいるものの、どことなく竜太を好いていないのがバレバレだ。
 こんなに不器用な男ではなかったはずなのだが……


「俺…謝らないから」

 竜太がポツリとつぶやいた。

「ヒドイことしたとは思ってる。けど謝らない」

 握りしめた拳を見つめたまま、竜太が言葉を紡ぐ。頑なに心を閉ざそうとしているように。
 夕凪の穏やかな空気に絆されてしまわないように。

「本当にショックだったから…夕凪が俺のこと忘れてて……」
「ごめ…」
「俺は謝らないから! だから……夕凪も謝んなよ」

 夕凪の謝罪を拒絶して、自分の言葉を突き通す。

「いやだ。」

 だがそれをも拒否して返した夕凪の言葉に、竜太は目を瞬いた。

「……え?」
「ゴメン竜太、ゴメン! いっぱい傷つけてゴメン、竜太の気持ちに気付かなくてゴメン、竜太のことわかってあげられなくてゴメン、辛い思いをさせてゴメンッ!」

 ひとしきり謝って、夕凪が大きく頭を下げる。

「だから…、竜太も謝って」

 そして顔を上げた夕凪の強い眼差しが竜太を射抜いた。

「……謝りたくないって言ったら?」

 その焼けるような強い視線から目を逸らして、竜太はギュッと唇を噛み締めた。
 罪悪感から飛び出してしまいそうな言葉を必死で耐える。謝れば自分の気持ちを諦めてしまうようで嫌だった。

 譲れない。夕凪への気持ちは本当なのだから。


「……じゃあ、俺が許す」
「は?」
「俺が竜太のこと許す。謝ってもらえなくても許す。これでおしまい」

 少し臍を曲げたように語気を強めながらも、夕凪は強引に話を終わらせた。
 だが竜太にはそれが不可解だった。
 明らかに納得のいっていない様子で怒っているにもかかわらず、夕凪が口にした“許す”という言葉。

「……なんで」

 不思議で堪らなかった。許されるべきことは何もない。
 ただ、自分が受けた屈辱を以て相殺することで痛み分けにするつもりだった。
 なのに……

7ページへ
「許せるの?」

 何一つ納得が行かない。のこのこ見舞いに来た夕凪も、ぎこちないながらも笑顔を向けようとしてくれる夕凪も、許すと言ってくれた夕凪も。
 あんなことをしてしまった自分に手を伸ばしてくれる夕凪の気持ちが理解できない。

「許せないよ、スッゴいムカつくし傷付いた」
「だったらどうして!」

 もし無条件で自分が許されるのだとしたら、それほど気持ち悪いことはない。罪の自覚があるのに、それを咎められるどころか許されてしまうなんて……
 自分がとことん惨めに思えた。
 だからせめて理由がほしい。

「仲直りしたいからだよ」
「……え?」

 そしてその理由は呆気なく手に入った。

「……仲直り…したい、……竜太と」

 ただ、予想外の理由で、竜太は不意打ちを食らったように言葉を失ってしまった。
 仲直り……そんなくすぐったい言葉が出るなんて思ってもみなかったから。
 下手をしたら、もう二度と話をすることさえできないと思っていたから。

鳩尾のあたりをコン…と打たれたように胸が苦しくなった。

「俺ともう一回友達になってください」
「……、」

 竜太は唇を震わせた。喉の奥が熱く焼き付いたように上手く声が出せない。
 一度空咳で声が出るのを確認して、竜太は静かに言葉を紡いだ。

「だって夕凪、俺、アンタにヒドイこと……」
「それは俺も一緒だよ。竜太だって沢山傷ついた。それにね……」

 言葉を一度切って、夕凪が隣に座る雷波にチラリと視線を送った。その視線を受けて雷波は首を傾げる。夕凪は何を言うつもりなのだろう。

「ここにいる池澤雷波は俺の親友だけど、俺たちは今までに何度も何度も喧嘩した」

 時には取っ組み合いをしたことだってある。
 思い出し笑いをしながら夕凪が語るのは、親友との青くさい奮闘記。

「絶交だって何回もしたんだよ。でもね……その度にまた何回も友達になった」

 すっきり仲直りできるコトばかりじゃなかった。だからその度に二人は友達になり直したのだ。

「雷波はね、俺が世界で一番たくさん友達になった男」

 千切れてしまって何度も結びなおした、結び目だらけの凸凹した二人の糸。ちょっと変わった特別な関係。
 真の友達、だから真友。そんな風に自分たちの関係を文字って笑い合ったこともあった。
 かけがえのない存在だ。
 大切だからこそ、決して離したくない縁なのだ。

「やり直せるんだよ、何回だって。俺、竜太と離れたくない。だから竜太、俺たちやり直そう!」

 竜太の手を取り、夕凪は力強く言い放った。
 だが、返ってきたのは二つの大きな溜め息。

「何だよそのチャラい発言……さすがの俺でもビックリだわ」
「アッチもコッチもなんて虫が良すぎるんじゃない?」

 自信満々に夕凪が言い放った究極のタラシ発言に、雷波は眩暈を覚えたように頭を抱え、竜太は胡散臭そうに目を細めた。

8ページへ
「え…」

 だが、夕凪には二人の不機嫌の理由がわからない。
 いい話をしたし、竜太に差し出した手は間違いなく最高の提案だと自負していたのだから。

「何がいけなかった?」

 受け入れられなかったことで、急に不安になってしまった。
 竜太どころか雷波にまで呆れられている。
 何が二人を落胆させてしまったのだろう……

「じゃあさ、夕凪……。俺たちは友達以上にはなれないの?」

 自嘲気味に竜太が鼻を鳴らし、重ねられた夕凪の手を静かに払った。

「なれるよ! お互いのこともっともっとよく知ったらまた昔みたいに友達以上の兄弟みたいな関係になれるよ!」

 心にかかった靄を吹き飛ばすように、夕凪が晴れやかな笑顔で目を輝かせる。彼には仲直りの兆しが見えたらしい。

「なろうよ竜太!」

 だが、竜太が欲しかったのはそんな言葉ではないのだ。半ば諦めたように竜太は首を横に振った。

「何もわかってないな、夕凪は」

 責めるように夕凪をじっと見つめ、再び大きな溜め息を零す。
 そして竜太は話にならない、と虫でも追い払うように手の甲で宙を払った。

「無理だよ夕凪、仲直りは無理。俺の気持ちわかってるくせに。……俺が望んでるのはそんな関係じゃないって知ってるくせに」
「竜太……」
「夕凪はズルいよ。だからこのままダラダラ友達やるのは無理。仲直りもしない」

 夕凪の気持ちをうやむやにしたまま、曖昧な関係に甘んじるなんて真っ平だった。
 嫌われるならいっそ嫌われてしまった方が清々しい。
 好かれているなら一番じゃなければ嫌だ。
 むしろ一番でいられるのなら、一番憎まれた存在であっても構わない。

「夕凪の一番じゃなきゃ嫌だ。だから、池澤雷波は俺が蹴落とす」
「おいおい、センパイくらいつけろよ後輩」

 挑戦的な視線をぶつける竜太に、雷波が苦笑を零した。

「絶対に夕凪を取り返すから」

 そして熱い眼差しで夕凪を見つめ、竜太は夕凪の手の甲に恭しく唇を寄せた。
 その真摯な瞳に捕まり、夕凪は真夏の日差しに当てられたように顔に熱が集まるのを感じた。
 頭を過ぎるのは、どこかのキザ怪盗―――…‥

「赤くなってんじゃねーよ」
「痛っ」

 雷波に頭をスッ叩かれるまで、夕凪は自分が固まっていたことにすら気付かなかった。

「仕方ないだろ、竜太が変なことするから!」
「赤くなった夕凪可愛い」
「うるさい黙れ竜太の馬鹿」

 クスクスと竜太に笑われ、恥ずかしさを紛らそうと夕凪は強引に話題を変えた。


「そういえば、辰兄は……元気?」

 だが、夕凪が口にしたその名前に竜太は酷く驚いた顔で固まってしまう。まさか夕凪の口からその話題が出るとは思っていなかったのだ。
 緊張を含んだ沈黙が訪れた。
 竜太が気まずそうに俯き、つられて夕凪も俯いてしまう。


「……何で?」

 沈んだ空気の中、竜太が怪訝な声で尋ねた。

9ページへ
 あんなにも辰弥のことを怯えていた夕凪が、何故辰弥のことなんかを尋ねるのだろう。

「……なんか、やっぱり気になっちゃって」

 重たい空気に気圧されて、夕凪は弁解するように答えた。

「辰兄も辛かっただろうな…って」


 当時辛かったのは夕凪だけじゃない。辰弥も同じだったはずなのだ。
 その人格を変えてしまうほどに辰弥を苦しめたイジメという暴力。その苦悩に耐えきれずに、夕凪への虐待を始めた辰弥。
 事態が明るみに出るきっかけとなったあの事件も、辰弥を脅かしていた高校生たちがふざけて取り上げた彼の携帯から夕凪の存在を知り、目を付けたのが原因だ。
 巻き込まれたのは夕凪だが、辰弥とて加害者であり被害者だったのだ。

 あの日、助けを求める夕凪見つめながら、辰弥の顔色は真っ青で心底辛そうな顔をしていた。
 そして目の前の現実から目を背けた。

『夕凪、ごめん…』

 そう口にした辰弥の心中が穏やかだったなんて決して言えない。
 辰弥は既にとことんまで追い詰められていたのだ。
 彼自身にももうどうすることもできないのだと、幼い夕凪ですら理解できたほどに――…‥
 夕凪を捌け口にすることでしか自分を守れなかった。
 夕凪を差し出すことでしか、その場の恐怖に耐えることができなかった。
 彼もまた、守ってもらえなかった気の毒な少年だったのだ。



「お兄は…今、ネパールにいる」

 言おうか言うまいか……散々思いを巡らせたあと、竜太はようやく重たい口を開いた。

「ネパール?」
「うん。少年院を出てすぐに、あい先生がお兄を訪ねて来たんだ」

 あい先生…、その名前に一瞬心臓が止まったような痛みが走った。

「あい先生はね、お兄の収容中も何度かお兄を訪ねて来てくれたんだって」
「……えっ…」

 初めて知る事件後の真実に、夕凪の耳がチリチリと焼けた。その熱さと痛みで竜太の言葉が頭に入ってこない。

 なんで……
 あい先生、俺には一度も会いに来てくれなかったのに……

 だがそんな夕凪の顔色の変化には気付かずに、竜太は話を続けた。


「あい先生は、お兄に海外ボランティアを勧めてくれたんだ。もっと広い世界を知ってみないかって」

 出院後の辰弥に降りかかったのは、時間の流れに取り残されたような計り知れない孤独だった。施設に入っていた期間はそれほど長くなかったが、帰って来た現実の世界は辰弥の知る世界と大きく変わってしまっていたのだ。
 廃墟となった思い出の家には罵りの言葉が書き殴られ、庭はまるでゴミ置き場と化していた。周囲の視線は冷たく、空や風までもが自分を歓迎していないように思えた。
 それだけじゃない。
 弟の態度はよそよそしく、両親でさえも辰弥を腫れ物のように扱った。
 そしてかつて自分にとって唯一の癒しだった年下の愛しい存在は、遠くへ引っ越してしまったようで名前すら耳にしない。辰弥はまるで鏡の世界に放り込まれたように、不気味でチグハグな居心地の悪さを感じていた。

10ページへ
 そんな辰弥を新しい世界へと連れ出してくれたのが、他ならぬ、あい先生だった。
 あい先生は何度も辰弥を訪ねては、辰弥に立ち直るきっかけを提示していったそうだ。
 そうして辰弥は通信制の高校を卒業し、あい先生とともに海外ボランティアの団体に参加することになったという。

「お兄は今、あい先生と一緒に世界中を回ってる……」

 まるで遠い親戚の話でもするように竜太は淡々とした口調で語った。
 それを夕凪の隣で聞いていた雷波も、他人事のように…といっても実際他人事なのだが、ふーんと薄い関心で相槌を打って聞いていた。

「元気そうで良かったじゃんか。なあ夕凪……って、……えぇッ、夕凪!?」

 雷波がギョッとするのも当然だ。黙って話を聞いていたと思った夕凪が、隣でボロボロと涙を零していたのだから。

「何だよ夕凪…どうしたんだよ……」

 動揺した雷波が、羽織っていた薄手のカーディガンの袖を引っ張って夕凪の涙を拭った。ハンカチがないのだろう、仕方がない。
 見かねた竜太がサイドテーブルのティッシュボックスから大量にティッシュを取り出し、夕凪にごっそりと差し出した。
 それを受け取り、夕凪が肩を震わせて息を吸った。

「あい…せんせ……」
「あい先生が何?」

 竜太が追加のティッシュを差し出しながら言葉の続きを促す。

「俺には…会いに来てくれなかった……」

 戻って来ると言ったのに、約束したのに……
 自分にとって特別だと信じていたあい先生が、自分との約束を忘れ、今は辰弥と共にいるということにショックが隠しきれなかった。
 しかも、夕凪の所へはただの一度も連絡を寄越さなかったあい先生が、辰弥のもとには足繁く通っていたらしい。
 あい先生の新しい人生と、忘れられてしまった自分自身への虚しさに胸がギュウギュウと締め付けられた。

 そんな夕凪を見て、竜太が堪らず頭をガシガシと掻き乱した。

「言うつもりなかったけど……夕凪には悪いことしたと思ってるから教えてあげる」

 そして決心したようにフウと息を吐き出す竜太。

「俺、あい先生に一度だけ訊いたことあるんだ。夕凪には会いに行ったのかって……」

 あい先生が辰弥を訪ねて家にやって来た日、竜太は抱いていた疑問を彼にぶつけた。夕凪の居場所を知っているのか、と。

「先生は……、探さないって言ってた」

 チクリ…、その言葉が夕凪の胸に鋭く突き刺さる。
 夕凪を探すつもりはない、そういうことなのだろう。探してもらえないのは、夕凪が嫌いになったから。
 迎えに来てくれないのは、そうしたくないから……
 これまでただ漠然と抱えていた不安がハッキリとした答えとなって、痛烈に突きつけられた。


「まだ。ね」
「……え?」

 窓からふわりと風が舞い込んだ。カーテンを膨らませ、慰めるように夕凪の涙に濡れた頬を撫でる。

「理由があって今はまだ迎えに行けないけど、約束したから必ず会いに行くんだって」

 約束を……覚えていてくれた??

 あい先生は、夕凪を忘れてなんかいなかった。

11ページへ
「本当に?」

 瞳を潤ませて尋ねた夕凪に、竜太が確かに頷く。
 その顔が不機嫌そうに見えるのは、さっきまで泣いていた夕凪が嬉しそうに顔を綻ばせたからだろう。
 だから言いたくなかったのに……と。

「行かないよな? 夕凪……」

 竜太がキュッと眉を寄せた。
 そして期待する答えをせがむように夕凪をジッと見つめ、手を握る。
 夕凪に振り解かれないように強く、強く。

「夕凪のこと探そうともしないくせに、約束とか都合のいいこと言う奴なんかに、付いて行かないよな?」
「・・・竜太…」

 夕凪の心が大きく揺れた。

 どうするのだろう自分は……あんなに待ち焦がれていたあい先生が、自分を迎えに来てくれようとしている。約束を覚えていてくれている。

“さあ、出てオイデ”

 その言葉をずっと待っていたのだ。手を伸ばさない理由がない。
 しかし……

「行くなよ」

 そう言ってきつく手を握る幼なじみと、複雑そうな面持ちでその手を見つめる親友に目をやった。
 あい先生の代わりに迎えに来てくれた仲間、ずっと長い間大事に思っていてくれた仲間、隣で手を握っていると誓ってくれた仲間……そんな彼らの手を振り払って、自分はあい先生の手を掴んでしまうのだろうか。

 思い出すのは、雷波の手を握り違えてしまった苦い記憶。
 あい先生の幻に我を失い、親友を黙殺してしまった自分の愚かさ。
 あい先生が本当に目の前に現れた時、またそれを繰り返さない自信がなかった。

「俺は……」

 もしかしたらまた何も見えなくなってしまうかもしれない。
 それが怖い―――……


“ダメかもしれない、でも大丈夫かもしれない”

 ふと、昨晩のリオンの言葉が脳裏で優しい音色を奏でた。

“大丈夫かもしれないのに怯える必要がある? 怖がらないで”

 冷え切った心がトクンと脈打つ。
 立ち止まり、蹲ってしまいそうになる背中を抱きしめ、優しくそして力強く支えてくれる声が何度もこだまする。


「……大丈夫だよ」

 自分が思ったよりも芯のあるしっかりとした声が出た。
 また周りを見失ってしまうかもしれない、でも、しっかり自分の意志で立っていられるかもしれない。大切な仲間の手をしっかりと握り返せるかもしれない。

 大丈夫かもしれないのだ。だからもう怖がらない。

「きっと大丈夫」

 自分の意識に深く刻みこむように、夕凪は声に出して唱えた。
 竜太の言う通り、もし本当にあい先生が迎えに来て、一緒に付いて来いと言ったら……その時どうするかはわからない。付いて行くかもしれない。
 でも盲目的にそれに従ったりたりはしない。
 そこに自分の意志があればいい。
 それを示せるだけの強さを持てればいい。
 しっかりと顔をあげて、自分が選ぶ未来に手を伸ばせばいい。


「えー…、なにそれ、チョー不安」

 固く決意して顔を上げた夕凪に、雷波の胡乱な目が冷ややかに突き刺さった。

12ページへ
「脳天気かお前! 全然説得力ねえよ。どっから来るんだ、その自信!」
「えッ……ひどっ! 大丈夫だってば、信じてよ!」

 拳を握って夕凪が宙を叩く。
 だが続くのは夕凪を擁護する声ではなく、雷波を後押しする声。

「俺も池澤センパイに同感」
「そんな、竜太までッ!」

 雷波に次いで竜太までもが苦い顔をしたことに、夕凪はしゅん…と肩を落とした。明るい兆しと自信に満ち溢れていただけに、二人の反応はショックだった。
 その一方で、雷波は思わぬ竜太の援護にニヤリと口角をつり上げる。

「なんだよ後輩ぃー、俺に賛同するとか可愛いとこ見せやがって。やっと先輩を敬う気になったか!」
「はあ? 馬鹿言わないで下さい」

 だが返ってきたのは冷たい視線。

「別にただの俺の意見です。アンタを敬う気なんて更々ありませんから」

 にべもなく一蹴されてしまった。

「ちっ、本当に可愛げがねえのな、後輩のくせに」
「アンタに愛想良くして何かメリットでもあるんですか」
「つれねー言い方。あんだろーがよ、色々と……ホラ、」
「ない」

 指折り数えはじめた雷波に竜太は即答で首を振った。


「てめっ、ちったあ考えろよ。オメーの知らない間の夕凪のこととか知りたくねえの? 例えば初体験の話とか教えるよ?」
「雷波ッ!!」

 夕凪が慌てて口を挟んだが、暴露されそうになった当の本人である夕凪よりも更に顔を赤くして憤慨していたのは、何故か竜太の方だった。

「何でそんなことアンタに聞かなくちゃいけないんだよ! 夕凪のことは夕凪に聞く。いつまで我が物顔で夕凪のこと語るつもりだ!」

 真っ赤な顔で怒号を上げる竜太に、さすがの雷波も目を丸くしてしまった。

「……なんだよ、冗談だっつーの」
「そうやって大きい顔をしていられるのも今のうちですよ。アンタ案外チョロそうだってわかったし」
「はあ゛?」

 チョロそう…、その言葉に雷波の顔色が変わった。

「どーいう意味だ」
「だってアンタら、何回も絶交してるんでしょ? 付け入る隙はいくらでもありそうだってことですよ」

 竜太が雷波へ向かって不敵に口角を上げた。

「池澤センパイのポジション、俺がもらいますから」
「ハハッ、お前じゃ俺にゃあ届かねえよ。身長も…器も……リーチもだ」

 竜太の宣戦布告に、雷波は竜太の腕とベッド脇の点滴を結ぶチューブを一瞥すると、ニヤリと意味深に笑った。
 そして夕凪の手を引き、ベッドからは届かない間合いを取ると、夕凪の頬にチュッと音を立てた。

「な?」

 勝ち誇ったように竜太を見下ろす雷波だが……


「……ッ、な、な、な……何すんだよ、雷波ァァァッ!」

 見事にリーチの届いた夕凪の拳が、雷波の頬を強烈に抉ったことは言う間でもない。
 ついでに言うと、竜太の投げたティッシュの箱も雷波の顎を直撃した。

13ページへ
***



 竜太に会いに行けた。怖がらずに話ができた。

 大丈夫だった――…‥、その安堵感に、自然と顔がにやついてしまう。

 コスモスの咲き乱れる病院の中庭を歩きながら、夕凪は緩む頬に力を入れて、笑ってしまわないように唇を結んだ。
 こんな場所でひとりニヤニヤとしてしまう自分は、端から見たら間違いなく可笑しな人に見えるだろう。
 しかし抑えきれない高揚。

 ねえリオン、大丈夫だったよ! あんたの言った通り、大丈夫だった。

 帰ったらリオンに報告しよう。そう思った。

 竜太と向き合えたんだよ、怖がらずに話ができたんだよ、笑顔で話ができたんだよ、と。

 そう言ったらリオンはどんな顔をするだろうか。
 よくできたね、と笑ってくれるだろうか。昨晩みたいに抱きしめてくれるだろうか……


「へへへ…」

 冷めないテンションを鎮めるために、夕凪は秋風に当たりながら院内の散策路をブラブラと徘徊していた。
 あの後更にヒートアップしてしまった雷波と竜太のいがみ合いに居た堪れず、トイレに行く、などと言って病室を出てきてしまったのだが、鏡に映る自分の緩んだ表情を見て、この愉快なほどに浮かれた気持ちを抱えたまま病室に戻るのは不釣り合いな気がして行き先を外に向けたのだ。
 だって、竜太の顔を見たらきっとまたニヤついてしまう、雷波の隣に座ったらきっと声をあげて笑ってしまう、勇気をくれたリオンのことを考える度にこうして頬が熱くなってしまうだろうから……
 そんな夕凪のことを病室二人は怪訝な顔で見るに違いない。
 だから少しでも冷静を保てるように、夕凪は外の空気に触れて気持ちを落ち着かせることにしたのだ。

 込み上げるのは過去のトラウマに立ち向かった、達成感。
 未来の不安を断ち切った、爽快感。

 そして、これから待つ未来に向けた、期待感。

 とはいえ、竜太と完全に仲直りができたわけではない。
 友達に戻れたとも、昔のように仲良くなれたとも言い切れない。
 しかし、前進はした。蟠りも少しずつ解けようとしている。
 また前のように笑い合える時が来る兆しが見えた。
 長かった空白の時間を、これからより濃い思い出で埋めていける予感に胸が高鳴った。

 そしてもう一つ、嬉しいことがあった。
 竜太が教えてくれた新たな真実。あい先生が夕凪を覚えてくれていたのだ。
 そしていつか迎えに来ようと思ってくれていることも知った。


 ねえ、あい先生。

 今度あい先生が迎えに来てくれる時は、俺……きっと笑っていられる。
 泣き虫で体育倉庫に隠れて助けを待ってばかりいた自分が、今度は笑ってあい先生を迎えるんだ。
 そして胸を張ってこう言いたい。

“先生…、俺ね、とってもいい仲間が出来たんだよ。紹介するね”

 今の自分を支えてくれた大事な仲間たちを、あい先生に紹介したい。そして成長して強くなった自分を見せたい。


 あい先生…、待ってるからね。



「おっと、大丈夫かい?」

14ページへ
 考え事をしていた所為で何かに躓きフラついてしまった体が、ふわりと誰かに支えられた。
 あまりにも優しい心地で体を包まれたので、倒れるという怖さや感覚はなかった。そして抱き起こしてくれる腕の頼もしさと安心感。懐かしい気配がした。
 ふと、鼻孔をくすぐるバラの香り。
 トクン…と夕凪の心臓が大きく跳ねた。

「ちゃんと前を見て歩かないと」

 鼓膜をくすぐったその声に耳がカァッと熱くなる。

「大丈夫かい?」

 優しい声色でくすりと笑うその人物の腕にしがみついたまま、夕凪は恐る恐る顔を上げた。

 艶のある濃茶の髪をさらりと靡かせ、細いフレームの眼鏡を掛けた男性が夕凪に柔らかい微笑みを浮かべている。
 見たことのない人だった。
 なのに、その眼鏡の奥で婉美に細められた茶色い瞳からは何故か目を離すことができない。



「白雪、何をしている。早く来なさい」
「申し訳ありません、今行きます」

 シラユキと呼ばれたその人物からサッと表情が消えたのを目撃し、夕凪もハッと我に返った。
 離れてしまう温もりに名残惜しさを感じながらも、夕凪は声を出すことすらできずに彼の後ろ姿を見送った。


 そしてその先に見つけた、ゾッとするような美しさを湛えた男―――…‥

 光に透けるような銀色の髪と彫刻のような目鼻立ちの端整な顔を持つその男は、本当にそこに存在しているのかと見紛ってしまうような幻影的な雰囲気を纏い、秋晴れの青空と風に揺れるコスモスの中で特別な存在感を放っていた。
 しかし何よりも印象的だったのは、殺気にも似た冷たい眼差し。

 自分を助けてくれた男性に礼を言うこともできないまま、立ち去っていく男たちの背を見つめ、夕凪はしばらくその場に立ち尽くしていた。
 底冷えするような感覚に震える肘を抱いて……






『TARGET6』――Fin――

  • 2

もっと読みたい!オススメ作品